断章20

 わたしは、ネトウヨである。

 ついつい、「心ある日本人であれば、当然、云々」と言いたくなるが、先の敗戦からすでに70年余。いまでは・・・

 

 「私は平成時代を通して、日本人や日本文化について話をしたり文章を書くことを続けてきました。そうしたテーマの講演で参加者と話をすると、必ず出てくる文句がありました。『あなたは、日本人、日本人と言うけれど、私には、自分が日本人という認識がない』というものです。自分には日本人としてのアイデンティティがないということをおっしゃる人が、一人や二人ではないのです」(『平成批評』福田和也

 「日本はアメリカと戦争したことがあるの?」と問う若者もいると聞く。

 (呆然と遠くを見る目)

 

 なるほど、そうかもね。

 

 江戸時代後期の「経世論」家であった林 子平が、ロシアの千島・北海道への南下政策に危機感を抱き、国防の充実を唱えるために1787年『海国兵談』の刊行を始めた(幕府の軍事体制の不備を批判する内容であったために、出版に応じる書店がなかったので自ら版木を作成した)。1791年に全16巻を刊行し終えたのであるが、翌年、幕府は無断で国防を論じた罪で林 子平を禁錮に処し、版木を没収した。

 

 「経世論」とは、江戸時代の「経世済民」のための思想である。「経世論が成立した背景は、幕藩体制下で進行した領主財政の窮乏、統治機構の形骸化・腐敗、農民の疲弊、商人高利貸資本への富の集中など、さまざまな社会矛盾の顕在化である」(Wiki)

 

 1791年の『海国兵談』から、1868年の明治維新を迎えるまで実に70余年である。

 日本は、先の敗戦において「愛国心」と「国防」を放擲(ホウテキ)し、「損得勘定」「拝金主義」で70余年を突き進んできた。とすれば、「国家経営の基本中の基本であり、いかなる先進国であれ例外なく従ってきた成功の方程式は、富国強兵である」(朝鮮日報)ことを日本人がふたたび心に刻むためには、今後さらに70余年の時間を要するとしても不思議ではないのである。

 

 日本は黄昏である。これから暗い夜が来るのだろうか?

 ぺちゃくちゃとおしゃべりするオウムたちを見ながら、寡黙な鷹が飛び来るのを後どれほど待てばよいのだろうか?

 

 「このままでは日本はだめになります」と憂いた宮台真司に対して、「宮台くん、心配することはない。社会がだめになれば人が輝く。『三国志』を読みたまえ」と、小室 直樹は言ったそうだが、そこからすでに20年が過ぎているのである。