断章31

 韓国は隣国であり続ける。日本が地震国であり続けるのと同じである。残念だが。

だから、かの国のメンタリティを理解しておくことは、必要なことである。

 

 エドワード・ルトワックは、『戦略論』(汝、平和を欲するなら、戦いに備えよ)を書いた“著述家”である。

 1942年にルーマニアトランシルヴァニア地方にあるアラドという町に住むユダヤ人一家の子として生まれた。あの“吸血鬼ドラキュラ”がいたというトランシルヴァニア地方である。“ドラキュラ”のモデルになったヴラド3世は15世紀のルーマニアに実在した人物である。ヴラド3世は当時の敵、オスマン帝国の捕虜たちを串刺しにして一列に並べてオスマン帝国皇帝に見せつけて、その戦意を奪ったという逸話がある。

 

 ルトワックはユニークなオッサンで、来日時のインタビューをまとめた『中国4.0 暴発する中華帝国』の第4章のわずか12ページの間に3回も「習近平には美しい妻がいる」と言っている(好みのタイプだったに違いない)。

 長い引用になるが、この『中国4.0』にある日韓歴史問題についての彼の見解をご覧いただきたい。

 

 「日本の謝罪問題についても一言言っておきたい。日本は韓国に対してすでに十分すぎるほど謝罪したし、これからも謝罪しつづけなければならないだろうが、それらは結局、無駄である。なぜなら韓国がそもそも憎んでいるのは、日本人ではなく、日本の統治に抵抗せずに従った、自分たちの祖父たちだからだ。たとえば終戦直前まで、日本の軍人は朝鮮半島で夕食を楽しんで官舎に帰ってくることができた。日本の軍部の高官が街を歩いていても、暴徒に襲われる心配はなく、護衛をつける必要もなかったのである。つまり、日本の統治は、当時、大した抵抗に遭っていなかったのである。

 ヨーロッパにも似たような例がある。オランダだ。ナチスドイツが侵攻してきた時、レジスタンスはあったが、オランダはほとんど抵抗せずに従った。にもかかわらず、戦後の1960年代まで、ドイツのことを激しく嫌っていた。ドイツ人が休暇でオランダに行くことなどできなかった。オランダの大西洋沿岸の民宿は休暇に最適の場所なのだが、看板に『ドイツ人お断り』と書かれていたほど嫌独感情が強かったのである。

 ところがその反対に、ユーゴスラビアダルマチア地方(現在のクロアチア)では、ナチスドイツとの激しい戦闘が行われ、双方に多数の死者が出たのだが、戦後の民宿には『ドイツ人は無料』という看板が出ていた。それほどドイツ人の観光客を歓迎していたのである。

 1955年のドイツ人は、オランダの海岸では民宿を予約できなかったが、ユーゴスラビアでは無料で泊まれたのだ。この違いはなぜ生まれたのだろうか。ユーゴスラビアではドイツ人が多数の市民を殺し、ユーゴスラビア側もそれに激しく抵抗した。だからこそ、戦後にユーゴスラビア人の多くは『俺はドイツ人と戦ったぞ!』と誇ることができた。そうして民宿で朝食も共にできるようになったのだ。それに対してオランダ人はドイツ人と戦わなかった。彼らは従っただけであり、そこが韓国人と同じなのである。

 今日の韓国人は、自分たちの祖父たちを恥じている。その怨みが現在の日本人に向けられている。だからこそ、彼らは決して日本人を許せないのだ」。

 

 中国大陸で日本と直接に戦火を交えた中国・国民党の日本に対する態度と漁夫の利を占めた中国共産党の日本に対する態度の違いまでを考え合わせると、示唆に富む見解である。