断章36

 「大廈(タイカ)の倒れんとするは一木の支うるところにあらず」

 巨龍・中国も、倒れるときには倒れる(中国共産党がどうあがいても)。

 

 しかし、ここ10年ほど巷間にあふれた“中国崩壊論”のようには、事態は進んでいない。

 なぜなら、エドワード・ルトワックに言わせれば、「巷間の予測は、リニア(線的)にすぎる。作用があれば、必ず反作用があることを理解していない」からである。昔風にいえば、「弁証法を軽視すれば罰なしにはすまされない」のである。

 そこまで、話を掘り下げる必要はないのかもしれない。

 

 (繰り返しになるが)単純に、「中国の50歳以上の人は文化大革命のことをよく覚えている。無秩序と混乱がいかに多くの命を奪ったかを知っている。共産党独裁であっても、『安定』をもたらすならば、それに代わる大事なものはないと考えている。それ以下の世代も、生活が年々良くなってきていること自体は評価している。1978年に改革開放政策が始まってから40年。500万人以上が海外留学をし、300万人以上が帰国したという中国の報道がある。中国から海外に向かう旅行者は2018年、1億4千万人に上った。海外に行って海外の良さを知り、中国は変わらなければならないと思う人の数は“減っている”。中国の生活水準も向上しているし、欧米に昔の輝きはない」(宮本 雄二)から、ということかもしれない。

 

 帝国主義的な覇権争奪戦の激化にともない、改革開放で私欲を解き放って“拝金主義”にまみれた中国共産党・特権官僚も、昔の”抗米映画”を放映したりして戦線を立て直しつつある。だが今更、あの「毛沢東思想」にまで後退できるだろうか。支配の「正統性」「アイデンティティ」のさらなる混乱・惑乱を呼び起こすだけではないのか。

 

 だとすれば、彼らが最終的に拠りどころにできるものは、「民族主義」「中華思想」しか残っていない。

 「民族主義」「中華思想」を鼓吹するための中国の意図的な“軍事挑発”の危険は、増大しつつある。“備えあれば患いなし”である。