断章46

 「日本における人文社会科学とは単に西洋人の考えをモデルとし、そのモデルで事象を紡いだものに過ぎなかったのではあるまいか」(古田 博司)とおっしゃる方もおいでになる。

 わたしは、「うん、うん、学歴の無いアタマの悪いネトウヨなんだから、この程度は許されるよね」と勝手にハードルを下げて、他人様の言説を無断で総動員して、やっとこさ自分の考えらしきものをまとめるのである(「アウト!」だったら、まっこと申し訳ないことでございやんす。以下、引用)。

 

  「チベットの現代史は悲劇的だ。1950年の中国によるチベット侵略以降これまで続いている占領と弾圧は、大日本帝国による朝鮮統治よりも残忍に見える。チベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世(1935~)は、侵略後に中国政府が実施した政策の結果として、100万人以上のチベット人が殺されたと語った。彼は、1957年に中国人民解放軍チベットの自由の闘士に加えた残虐行為について、自叙伝でこのように記している。『十字架刑、生体解剖、犠牲者のはらわたを引きずり出したり指を切ったりといったことは普通だった。ひどいときは頭を割ったり、焼き殺したり、死ぬまで殴ったり、生き埋めにしたりすることもあった。』出家した僧侶に対する醜悪な性的拷問も記録している。

 民族主義者であれば、大抵はこうした非人間的行為に対して怒りと敵対心を燃やし、中国共産党指導部を『かたき』と規定しがちだ。そして中国の圧政に抵抗して逮捕され、処刑された抵抗軍を『義士』として追悼し、圧政に抗議して焼身自殺した100人以上の僧侶や青年たちの魂を大いにたたえるだろう。

 だがダライ・ラマは全く違う。自叙伝には、悲しみはあっても怒りは見られない。『ガンジーに対する賛辞』と題したノーベル平和賞受諾演説(1989年)でも、彼は中国の圧政は批判しつつ、次のような祈りで演説を締めくくっている。『私は抑圧者と友人を含むわれわれ全てのために、人間的な理解と愛を通してもう少し良き世界を建設することに、われわれが共に成功できるよう祈ります。』

 ダライ・ラマは、敵対感や怒りなしに、チベットの惨状を世界に、そして中国の善良な人民に知らせるため自叙伝を書いたと語った。彼にとって記録は未来のためのものであって、過去史に対する憤怒や清算、復讐心ゆえではない。

 彼は、驚くべきことに、時には中国の官僚をも瞑想の対象とし、『彼らの憤怒、疑念、否定的な感情を受け入れ、そこに私の愛、私の慈悲、私の許しを与えた』と語った。彼にとって許しは、加害者が反省した後に与えるものではなく、まず与えるものだ。こうした愛と慈悲の技術法は、仏教に由来する。彼は、民族の生存よりチベットの霊的伝統、すなわち仏教文化の方を重視している。重視する理由は、特に、その文化を抹殺しようとする中国人のためだという。ダライ・ラマは、こうして、仏教をあらためて世間に知らしめた。

 現代韓国人は、今の日本を指して『われわれ』に含めることができるだろうか。ダライ・ラマに尋ねたら、破顔大笑しつつ『日本との対立は主に過去史に関するものであって、侵略も抑圧もない今、共に未来を描いてみることほどたやすいことがどこにあろうか』と問い返されそうだ。民族主義という文化の遺伝子が強固な理由は、生存欲求ゆえだろう。だが平素、隣人と和平を維持することも生存に利する。韓国政府がビザを与えないせいで来ることができないダライ・ラマのことを思い、韓国人の心が少し広くなるとしたら、それは釈迦生誕日を祝う良き方法ではないだろうか」(2019/7/7 朝鮮日報オンライン  ホ・ウソン慶煕大学哲学科名誉教授・非暴力研究所長)。

 

 「朝鮮は、高麗時代までは仏教立国であったが、高麗末期までに仏教ははなはだ腐敗し、新たに王朝を開いた李氏朝鮮王朝は、儒教をもってこれを刷新した。具体的には宋代の朱子の『礼』をもって大衆教化に乗り出したのである。その教化は苛酷にして激烈なものであり、葬式に僧侶や巫女を呼ぶものは百叩き、火葬したものも百叩き、埋葬しないものは斬り殺し、再婚した婦女は拷問など、暴力的な手段で『礼』の実践を大衆に強要した」(『東アジア・イデオロギーを超えて』古田 博司)ので、現在の韓国社会でも、仏教は大きな影響力を有していないと思われることが残念である。