断章82

 韓国歴史ドラマを観ただけでも、「李朝では、権力がすべてだった。権力の座にすわった者が、暴虐の限りを尽くした。法は権力者によって、好き勝手に用いられた。権力の奪い合いは、凄惨をきわめた。民衆はただ搾取の対象となった」こと。

 「権力者は美辞麗句を弄んだが、人命も、道徳も、顧みることがなかった。民衆は苛酷な社会のなかで生き延びるために、偽ることが日常の習い性となった」ことがわかる。

 李氏朝鮮の真実は、隠そうとしても隠しきれるものではない。「隠すより現る」である。

 

 『検定版 高等学校韓国史』は、救いようのないものを無理矢理庇(かば)おうとして詭弁を弄することになる。

 「高宗の俄館播遷により日本の干渉からある程度抜け出したものの、ロシアをはじめとする列強の利権侵奪はいっそう激しくなった。政府は国家の自主的地位と国王の権威を取り戻すために努力した。」(178ページ)というのであるが、高宗と取り巻きはロシア公使館に1年近くとどまり続けて執政しているのだから、これは詭弁でしかない。

 「ロシアは軍事教官と財政顧問を派遣して朝鮮の内政に干渉」というが、そもそも高宗と政府がロシアに軍事教官と財政顧問の派遣を要請したのである。

 

 また、「5. 近代主権国家をうちたてようとする」という項目にあわせて、「民衆を呼び覚まして国民国家をつくろう」とする「独立協会」の澎湃(ホウハイ)たる運動があったかのように記述を装うのだが、実際は大衆的な広がりがなく、線香花火のように終息させられたのである。

 「政府批判を続けた独立協会は1898年、弾圧によって壊滅するのであるが、その批判の一つとは国王と政府がロシア公使館にあったとき、鉱山や鉄道といった国家利権を密かに欧米列強に売り飛ばしていたことに対してであった」(「朝鮮史」)。

 つまり、韓国の教科書の著者たち・官製民族主義者が「外勢の侵奪だ。干渉だ」と金切り声をあげることの多くは、実は、私腹を肥やしたい高宗とその取り巻きたちが国内利権を外国に切り売りした結果なのである(今でもアフリカの独裁国ではありがちな事)。

 

 高宗は、およそ1年後にロシア公使館から王宮に戻った。

「中国では、古来から皇帝が天壇で祭天の儀式を行っていた。しかし、朝鮮では、祭天を行う事ができるのは中国の皇帝だけであり、中国の皇帝から冊封されている朝鮮国王は、祭天を行えないとされていた。ところが、日清戦争で日本が清に勝った結果、下関条約で朝鮮は中国からの独立が認められ、1897年に朝鮮国王は大韓帝国皇帝に昇格した。そのため、独自に祭天を行うこととなり、中国の天壇のまねをして圜丘壇を作った」(Wiki)。

 「10月12日に祭天の儀式を行い、翌13日に詔を出して皇帝に即位した。その後、清の冊封の象徴であった迎恩門、『恥辱碑』といわれる大清皇帝功徳碑を倒して独立門を立て独立を記念した」(同)。

 

 『検定版 高等学校韓国史』によれば、「大韓帝国は皇帝権を強化し、国家の自主権を守って富国強兵のために改革を推し進めた(光武改革)。・・・1899年にわが国初の憲法といえる大韓国国制を発表した。(中略)光武改革は短期間に産業や教育などで大きな成果を上げたが、執権層の保守的性格や列強の干渉などによる限界があった。」「大韓帝国は列強の干渉をはね除けるためには皇帝を中心として力を集めることが必要だと考え、皇帝に重要な権限を集中させた。ここから皇帝中心の近代主権国家を目指していたことがわかる」(180頁)という。

 

 しかし、大韓帝国と光武改革を、『検定版 高等学校韓国史』のように見ることは、大韓帝国復古主義的性格に目を閉ざし、李氏朝鮮から《看板》をかけ替えたにすぎない大韓帝国を美化することである。大韓帝国のうわべを飾る近代化策に幻惑されて、アジア的復古王朝的本質を見失っているのである。

 なぜなら、第一に、ここでの皇帝への権限の集中は、近代主権国家を目指すものというよりは、李氏朝鮮によくみられた国王親政と王権強化を意図していたのである(韓国歴史ドラマで第3代太宗や第7代世祖たちがよく言う「強い王でなければ国を強くすることができない」そのものだ)。

 第二に、1897年頃に学務大臣申箕善が編集し、2名の学務顧問が序文を書いて、費用が政府持ちで刊行された『儒学経緯』に、「ヨーロッパは文明の中心すなわち中国からあまりに遠く離れている。ゆえにロシア人、トルコ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人は人間よりも鳥獣に似ており、その言語は鶏が鳴いているように聞こえる」などの記述があり、駐在各国外交官から抗議を受けたのであるが、大韓帝国の官僚たちは、おしなべて皆、こうした世界観の持ち主だったのである。

 

 実際は、「1899年8 月、高宗は『大韓国国制』を発布し、皇帝は統帥権、法律の制定権、恩赦権、外交権など強大な権力を有することが定められ、皇帝専制による近代化政策(光武改革)が進められたが、韓国独自の貨幣発行は失敗して財政は悪化した。韓国政府により京城~木浦間に鉄道を敷設する計画も発表されたが、資金不足により実現に取り掛かることはできなかった。また、光武量田事業と呼ばれる土地調査を実施し、封建制度の基礎となる土地私有制を国家所有制に切り替え、近代的地税賦課による税収の増加を目論んだが、土地所有者たちへの説明が不明瞭なまま強引に推し進められたことや経費の不足から徹底することができないまま、日露戦争の勃発により事業は終了した」(Wiki)。

 つまり、朝鮮には、強欲な両班たちと支配イデオロギーであった儒教朱子学)のせいで、近代化と国防に必要なマインドもメソッドもマネーも無かったのだ。

 「近代主権国家を目指していた」「光武改革で大きな成果を上げた」という記述は、その後の“悪辣な日帝による国権強奪”を際立たせるための牽強付会であり美化なのである。

 

【参考】

 「三・一運動100周年を控え、有名な韓国史講師であるソル・ミンソク氏はあるテレビバラエティ番組に出演して日帝の石窟庵(ソックラム)き損を非難した。『石窟庵は数学・幾何学・科学の完ぺきな結晶体で、1,000年以上にわたって完ぺきに保存されてきたが、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた』という。記録は全く違うことを語っている。1912年に大規模補修工事に入った当時、石窟庵は天井が崩れて土に埋もれた状態だった。日本としては文化遺産を生かそうとして、当時としては最新の技術であるセメントを使って最善を尽くしただけだ。それでも放送以降、日本は嫉妬で盲目になり石窟庵を傷つけた野蛮国家として韓国大衆の袋叩きにされた。

 資料を一度ひもとけば露見する明白な歴史わい曲だが、ソル氏や放送局が謝罪どころか訂正したという話はついぞ聞かなかった。実は、特に驚くようなことではない。韓国で『手当たり次第反日』はいつもこのように免罪符を受けてきた。(中略)

 私たちは事実を事実通り見なければならないという、その単純な常識さえ学ぶことができなかった」(2019/5/10 中央日報日本語版)。