断章106

 東映アニメーションゲゲゲの鬼太郎」で紹介されている「ねずみ男」のキャラクターは、「人間と妖怪のハーフ。お金と権力が大好きで、何よりも金儲けを最優先する。あるときは鬼太郎の味方であり、あるときは敵になる。平気で嘘をつき、人を裏切る、欲にまみれた人物」である。偽善者ではない。正直者である。

 

 一方、「動物王国」のネズミ男は、「あらゆる手をつかい、いかにおのれが利口であって知恵と知識とスルドサに満ちているか、ということを知らしめようと必死」(椎名 誠)な俗物である。もっと遠くへ行けると常に妄想する性(さが)をもち、爪に火を点して貯めた金で「宝クジ」を買う夢追い人である。

 

 「毎週、何百万人もの人々が買い求める宝くじは、賭けである。皮肉屋のアドバイスによると、締め切りぎりぎりに買うほうがお得だ。さもないと1等を勝ち取る確率よりも、結果が出る前に死ぬ確率のほうが高くなるから。

 しかしこの計算は、宝くじを買うという行為を誤解している。宝くじを買う人は夢を買っているのだから、夢が手元にある時間が長ければ長いほど、喜びは増すというものだ。お馬鹿さで知られた実験によると、学生たちはお気に入りの映画スターから3時間後にキスしてもらえる場合よりも、3日後、あるいは1年後にキスしてもらえるほうにずっと多くの金を払うことがわかっている。

 宝くじの常連客がいつものように金をすってしまったとき、彼らは来週また買ってやるぞと心に誓うことで、夢をつなぐことができるのである。」(ジョン・ケイ『金融に未来はあるか』のダイヤモンド社の紹介文から)

 

 そして、実は今では、金融業界で働いている面々、投資活動に没入している面々も、この「宝クジの常連客」と同じく“夢を追って賭ける人々”化しているという。なぜなら、「リスクとブラックスワンの決定的な違いを金融の専門家すらわかっていない」からだというのである。

 「金融業界は今や、政治を動かし、一度揺らいでしまえば日々の暮らしを左右する存在になってしまった。・・・巨大銀行の業務の大半が社会にとっていかに有害無益であるかを解き明かす一方で、リーマン・ショック後、金融業界の肥大化を抑制するために導入された膨大な規制も逆効果だと断じ、銀行を『よそ様のお金を預かる』まっとうなサービス業に回帰させ」(ジョン・ケイ)ようと提言されても、何ひとつ変わっていない。

 

 それは、「歴史とは(人間の営為とは―――引用者)、何であろうと求めてやまない、心が狭く、恐怖に駆られやすく人間関係も上手くいかず、落ちついて待つことさえも不得手な、哀れではあっても人間的ではある人々の、人間模様に過ぎない」(塩野 七生)からだろうか。

 ナシーム・ニコラス・タレブは言った。「私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない」「私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく」(『ブラック・スワン』)と。