断章114

 つい先日の日本経済新聞によれば、「2019年の自殺者数が統計を開始した1978年以来、最少の1万9959人となったことが17日、警察庁の集計(速報値)で分かった。減少は10年連続で、人口10万人当たりの自殺者数(自殺死亡率)も前年より0.7人減り、15.8人となった。速報値が2万人を切ったのは初めて。ただ3月発表の確定値は例年増加する傾向にあり、最終的な自殺者数は2万人超となる可能性が高い。

 政府は17年の自殺総合対策大綱で自殺死亡率を米国やドイツの水準に並ぶ13.0人以下にすることを目指しており、データをまとめた厚生労働省は『約2万人の方が命を絶たれており、依然として深刻な状況。引き続き対策をしっかりやっていく』とした。」

 

 自殺者本人と近しい者の絶望感、悲しみは、言葉にし難いものだ。

 「どうして人は自殺するのであろうか。自らの物理的、精神的生活条件が耐えがたく思われ、多かれ少なかれ近い将来においていかなる変化の希望も持てないときに、人は自らの人生に終止符を打つ。・・・他のヨーロッパ諸国と比べて自殺率が平均的なフランス(自殺率15。自殺率は10万人あたりで計算される)において、自殺しているのは、とりわけ農業賃金労働者や未熟練労働者、さらには老人といった、消費社会の落ちこぼれである。被搾取階級の物質的・精神的な悲惨さの度合いというのが、何らかの社会における自殺率を決定する基本的要素なのである」と、エマニュエル・トッドは、1976年の処女作『最後の転落』に書いた(引用者注:これは、もとは、共産主義圏に暮らす住民の満足度を分析する文脈中のものである)。

 

 しかし、自殺者2万人超の数字をもって、ある人たちのように「日本は地獄だ」と語ることは、一面的に過ぎると言わなければならない。

 

 というのは、ある国には自殺を禁じる宗教教義があり、ある国はおそらく統計数字を操作している(1970年当時、ソ連は、用心深く、自殺率も殺人率も公表していなかった)、ある国は日照不足(一日のうち20分以上太陽光にあたらないでいるとウツ病になりやすい)であり、ある国にはまともな統計をとる役人がいない。また、「北朝鮮」のような全体主義国では、「首領様からいただいた命を粗略に捨てれば、家族を収容所送りにする」とでも宣伝すれば、自殺したくても躊躇するだろう。

 世界保健機関(WHO)が2019年9月に発表した自殺死亡率調査(2016年時分の統計)では、あの麻薬戦争のメキシコが5.1、中国が9.7、「北朝鮮」は11.2であり、ベルギー20.7、韓国26.9、日本18.5である。トラカイ城という青い湖に浮かぶ赤いレンガのまさに絵になるお城で知られるリトアニアは31.9で、一方、アフガニスタンは4.7である。腐敗と失業に抗議して青年が焼身自殺し、「アラブの春」の発端になったチュニジアは3.4である。また、戦争中の国では、自殺が減少することが知られている。

 

 短絡的に言えば、「日本を幸福にするには、イスラム教を国教にすればよい」とも言えるのである。自殺者数、自殺死亡率だけから、短絡的に「日本は地獄」と言うべきではないのである。