断章128

 雲は光を覆い、嵐が荒れ狂い、ささやかな者たちの喜び悲しみを一顧だにせず、時代はまわる。「従来どおりのやり方では下層は生活していけなくなり、従来どおりのやり方では上層は儲けることが出来なくなる」時代が、また目前に来たのではないか?

 

 焦眉の課題として、「感染防止のためにテーマパークなどの営業自粛やイベントの中止などが行われており、こうしたところで非正規雇用により働いていた人たちの生活を保障することが急務だ。感染が収まった後の経済活動がスムースに再開できるためには、休業を迫られた企業や需要の落ち込みに襲われた企業の資金繰り支援や債務の繰り延べなどの措置が不可欠。(中略)

 将来財政負担の原因とはなるが、企業の資金繰りなど存続のために、財政資金の投入や公的な保証を付けるといった制度を緊急に用意する必要があるのではないか。

 感染拡大を防止して早期に終息させることが経済への対策としても最も重要・効果的であり、このための支出で財政赤字が膨張することを避ける局面ではない。また、経済活動の低下にともなって税収の減少も起こって財政赤字の拡大要因となるが、これも甘受するしかない」(東洋経済・櫨 浩一)としても、すぐにこうした対策ではカバーしきれなくなるだろう。なぜなら、当面する情勢は、“スタグフレーション”を不可避としているように見えるからである。

 

 資本主義の“過剰生産”は‟ケインズ革命”によって、“金融危機”は “じゃぶじゃぶの流動性の供給”によって、つまり、資本主義は危機の多くを国家の介入によって乗り切ってきた。経済官僚たちは、すっかり錯覚してしまった。国家が介入すれば“市場”はどうにでもなると。

 介入や規制がもたらすものは、歪んだ市場経済である。にもかかわらず彼らは、ありとあらゆる“市場”(為替市場や金融市場や貿易市場)に平気で命令を下し、《市場原理》を無視して諸々の介入と規制をのべつ幕なく行ってきた。

 ところが、資本主義の《市場原理》は、様々な経路を通じて、無慈悲に自己の法則を貫徹する。その結果は、ある国では驚異的な資産価格の上昇と目の眩むような「格差」(今や一部の国では、富裕層は守衛が24時間体制で警備するゲートコミュニティに住んでいる)であり、ある国では長期停滞と巨額の公的債務であり、ある国では完全な経済破綻であった。ガチガチの規制のせいで、「社会主義体制」とも揶揄(やゆ)された日本は、座り込んで暮れてゆく空を見ているだけになってしまった。

 

 スタグフレーションになれば、どうなるか?

 「ここ数年は団塊世代が引退し、働き手が減少する中で企業規模を維持・拡大するために労働者を確保する必要があった。しかし、不況期に真っ先に削減されるのは派遣社員や非正規雇用の人員である。のっぴきならない状況になったとき、派遣社員非正規社員には(悪い言い方をすると)『犠牲になってもらう』しかない。派遣・非正規の貧困が社会問題になるだろう。

 非正規・派遣社員を削って守りに入った企業が次に検討するのは、利益にならない自社の社員の削減だろう。特に「働かない高齢社員」への風当たりは強い。年功序列でコストばっかり高くなって、ろくに利益を生まないからだ。ここ数年、日本型雇用に疑問が投げかけられるようになってきたが、正社員の解雇規制緩和についてはまだ進展がない。とはいえ、日本企業にもかつてほどの余裕がなくなっているので、正社員の整理に踏み込む会社も増えてくると思われる。正社員の解雇規制の緩和が検討されるだろう。

 新型コロナ騒動で不要不急の外出を控えるように要請され、企業も在宅ワークを進めている。未だに満員電車での通勤を続ける企業も多いが、在宅ワークに切り替えた企業も多数存在する。1ヶ月も在宅勤務するとさすがにみんな、気付くだろう。『あれ?会社に行かなくてもいいんじゃね?』と。そしてもう一つ。在宅勤務の中で『あの人、別にいてもいなくても変わらなくない?』というのにも気付くはずだ。経営者側も、『在宅でなんとかなるんなら、正社員を抱えなくてもフリーランスを使えばいい』と気付くかもしれない。正社員は一度雇ってしまうと固定費としてずっとコストがかかるが、フリーランスを使うのであれば、経営状態に応じて柔軟にコストを調整できる。アフター・コロナの世界はシビアな成果主義の世の中になるだろう」と、あるブロガーさんは予想している。

 しかも、生活手段が大幅に値上がりすることは避けられない。2012年以後にあったことが、逆回転するのである。

 

 人は喉元をすぎれば熱さを忘れ、経験者の年寄りは死ぬものだから、今では以前の“スタグフレーション”の経験・記憶も残っていないだろう。しかも、危機は、スパイラルかつ急速に進行するものである。腹をくくって、危機に備えよう。