断章153

 「教育はすべての人間に平等に与えられるのではなく、できる人材はより多くの知識を吸収して、さらに差をつける。教育は平等ではなく、不平等を生むのである」(グナル・ハインゾーン)。

 

 戦後復興につれて、地方・寒村から勇躍あるいは親兄弟の生活・進学を助けるために、多くの青少年が都会に出た。キューポラのある街で、軒を連ねる縫製工場で、インクの匂いが鼻をつく活版印刷工場で、厨房で親方に小突かれながら、明日を夢見て働いた。おいおい生活は楽になり、成功者もいたが、社会的階梯を登ったものは、さほど多くは無い。なぜなら、高すぎる「学歴」の壁があるから(高学歴者からは、陰で、バカ呼ばわりされる)。

 

 以前、本が好きだというだけの理由で印刷工場に就職し、まるで内村 鑑三がキリストの“啓示”を受けたように、パルタイから“啓示”を受けた友人の話を書いた。

 ヘーゲルが分かる人にとって、「ヘーゲルとは、『近代』の直面する問題の全てを予見し、哲学のあらゆる部門を包括する体系的思考であり、それ以降のあらゆる哲学者たちを手の平の上で踊らせる知の巨人である」らしい。

 同様に、友人にとって、“啓示”を受けたマルクス主義は、あたかも、「この世界の難問を軽々と解決する如意棒」であり、「深い哀しみを知った者のみが体得できるという北斗神拳究極奥義」でもあったから、俄然(がぜん)元気な‟活動家”になったのである。

 公務労働者や教育労働者のような大産別でない、しがない民間零細の低学歴労働者は、職場で支持を広げることがむつかしい。それでも根が真面目だから、職場では嫌われもせず、庇(かば)ってもらえたこともある。ただ、実際のところ、パルタイでは、大事にしてもらえたわけではない。なにしろ、低学歴で幹部候補ではなかったから。

 東京が美濃部革新都政だった頃、山谷(労働者)の越冬支援に行って、暴力団手配師と向き合っていた。アナキストの竹中 労はいたが、進歩的知識人の姿は無かったそうである。