断章171

 「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」(ダーウィン)。

 

 コロナ後は、これまで以上に“国家”が前に出ざるをえない。国連やWHOといった国際機関や他国の協力・援助を期待し頼りにすることはできない。わずかなシリア難民援助すらロシア等の拒否権で前に進まないのだ(なお、国際機関の“援助”の本質的欺瞞性については以前書いた)。現代世界では、結局のところ、主権国家を単位として暮らしが成り立っているのである。「国連幻想」「国連中心外交」から脱却しなければならない。

 またコロナ後は、わたしたちの仕事・暮らしは、これまで以上にICT(情報通信技術)と結びついたものにならざるをえない。ICT(情報通信技術)を巡る競争は激化している。例えば、「次世代の通信規格『5G』をめぐって、イギリスが、中国の通信機器大手、ファーウェイの製品の排除を決めたことについて、中国政府は強く反発したうえで、『あらゆる必要な手段をとり、中国企業の権利を守る』と述べました」(2020/07/15 NHK NEWS)。

 

 「しかし、日本の技術はなぜ、いざというとき役に立たないのか。危機に際して問題を解決する決め手にならないということです。第2次世界大戦のとき、日本はゼロ(零戦)といった匠の芸はありました。しかし、持続的な量産体制、戦いながら技術を更新し、バックフィットしていくことが苦手でした。レーダーや原子力のようなパラダイム・シフト的な技術革新を生み出す力は備わっていませんでした。

 福島のときもそうでした。日本はそれまで『ロボット大国』を誇っていましたが、原子炉相手にセンサー機能にしても、撮影にしても、運搬にしても、無人化作業を行うロボットは最後まで出てきませんでした。最後に駆けつけてくれたのはアメリカの『アイロボット』です。

 今回もどこかにそのような気持ちがあります。中国や韓国やシンガポールや香港など感染者の割り出し、追跡、ソーシャル・ディスタンシング警報、人流管理など大胆にデジタル技術を活用し、感染拡大を防止し、出口戦略を模索しているのに対して、日本は明らかに後れを取っています。少し前までは『3Dプリンター』で何でも作れるといわんばかりだったのに、なぜ人工呼吸器はできないのでしょうか。国民を守るための技術とイノベーションがなぜ、こうまで進まないのか。セキュリティのための技術革新とイノベーション、とりわけデジタル・イノベーションが行われない」(東洋経済船橋 洋一)。

 

 それはなぜか? 

 他の国々は、「国家経営の基本中の基本であり、いかなる先進国であれ例外なく従ってきた成功の方程式は、富国強兵である」(朝鮮日報)と、今もなお意識し行動している。例えば、ロシアのプーチン大統領は「AIを制する者が世界を牛耳る」と言って、力を入れている。

 ところが、日本では《富国強兵》を時代錯誤なものとして見捨てている。なので、「地方の不良少年・少女や不登校だった若者たちを集めて企業が欲しがる人材に育てあげるスタートアップがある。2015年に創業した『ハッシャダイ』(東京・渋谷)だ。再教育プログラム『ヤンキーインターン』の卒業生はすでに300を超え、サイバーエージェントソフトバンクなどで実戦力として活躍する」といった個別的な取り組みはあるけれども、国を挙げてICT革命に邁進(まいしん)できないのである。