断章172

 わたしたちと彼らを分けたもの。それは“抗体”の有無だった。

 わたしたちとは、ネトウヨ(同調者)であり、彼らとは日本共産党員(シンパ)である。

 わたしたちにも、彼らにも、まじめで努力家で隣人に親切な親がいた。

 しかし、わたしたちの側は、生活に追われて、子供たちの教育への配慮が不足していたり、金銭的な余裕がなかった。彼らの側には、それがあった。

 

 なので、中卒、高卒で働き始めたわたしたちは、例えば、Aは中学卒業とともにコンビナートの製鉄工場で3直4交替の現場で定年まで働いた。定年後1年を経ず、脳溢血で死んだ。Bは家計を助けるために小学校4年で新聞配達を始め、大型車の整備工場に就職し、ヘルメットを被り雨合羽を着て、大型車の下に潜って下回りを洗車し、整備終わりの車の下塗りをする毎日だった(中耳炎が慢性化して右耳の聴力を失った)。

 わたしたちが、宇多田ヒカルサントリー天然水のCM)を見て思い浮かべるものは、爽やかな高原の景色ではない。「十五 十六 十七と 私の人生 暗かった 過去はどんなに 暗くとも 夢は夜ひらく♪」と唄った藤圭子であろう。

 早くから、世知辛い浮世の洗礼をまともに受ければ、「共産主義社会」など、夢想としか思うまい。

 

 一方、彼らは、進学し高等教育を受けた。彼らは、戦後日本の高等教育機関に満ちあふれていたマルクス主義者にとって絶好のカモになった。なぜなら、彼らは実社会で学ぶ機会をもたず、人生・社会の厳しい教訓=“抗体”を得ていなかったからである(少々アルバイトをしたぐらいで何が分かるだろうか)。この世には、「ひとりがみんなのために、みんながひとりのために」という社是を掲げて、営業ノルマ達成を営業員全員の連帯責任にする「ブラック企業」があることなど、彼らの理解の外である。

 なので、善良で正義漢で問題意識をもつ「意識高い系」の彼らは、「マルクス主義」のプロパガンダの洗礼を受けて、マルクス教の信者になり、「共産主義社会」の到来を待ち望んでいるのである。

 

 「能力に応じて労働し、必要に応じて受け取る」という「共産主義社会」。しかし、今後、75億人から90億人に及ぼうかという人間(その欲望には限りがない)のあらゆる“必要”を、どのようにして“平等”に満たすというのか?