断章178

 安宅 和人の『シン・ニホン』は、出版社によれば、ファクトベースの現状分析と新たなる時代の展望を伝える本であるという。

 どこかデジャヴのような気持がした。というのは、本ブログ51でもふれた2017年の『不安な個人、立ちすくむ国家』を思い出したからである。「経産省の20~30代の若手官僚たちが現代日本を分析した未来への提言。多くのメディアに取り上げられ、瞬く間に150万ダウンロードを記録。若手官僚たちが問いかける日本の未来!」という宣伝だった。しかし、アマゾンレビュワーからは、「役所の諸先輩に忖度し自己の保身もにじみ出る言い訳の羅列に愕然、明らかに政策の研究不足」と辛辣(しんらつ)な評価だった。

 しかし今回は、研究・教育の現場を知悉(ちしつ)する安宅が、ひとりで400頁余の書籍を上梓しての提言である。例えば、彼によれば、「国のような公共機関が行う取り組みの中で、教育、科学技術開発の投資はもっともROI(注:投下資本あたりの戻り)がいいという知見がある。この知見を踏まえて、ためらわずに(注:教育、科学技術開発の投資を)実行すべきだ」という。その資金面について、安宅は、MMT(現代貨幣理論)に拠ったりせずに、既存予算(リソース)を組み替えることで教育・科学技術開発の分野に資金を回していくという現実的な提案もしている。

 

 安宅は、アメリカや中国の教育・科学技術開発投資、AI、ICT開発への巨額の徹底した資金投下について語っている。注意すべきは、安宅は控え目にしか触れていないが、アメリカや中国のこうした目を見張るような取り組みは、アメリカや中国の全面的な覇権争奪戦を背景としているということである。アメリカの超巨額の国防費によって、アメリカの大学・研究体制は支えられ育ってきた。例えば、MITにある先端技術開発の研究所への国防省からの委託研究費は、MITの全収入(約3000億円)の3分の1を占めている。

 中国の政府と軍の教育・科学技術開発、AI・ICT開発への関与は、アメリカを追いかけて全面的で巨額なものである。資金を注ぎ込むだけではない。スパイ、賄賂による知財窃盗、超高給での技術者招請、なんでもありである。なにしろ、アメリカにせり勝って世界の覇権を手に入れるつもりなのだから。

 

 日本に不足しているのは、今はまだ、金ではない(まぁ、ROIの悪い円借款ODAでかなり失くしたと思うが)。イノベーション、教育・科学技術開発投資、AI・ICT開発に突き進むモチベーションが不足しているのである。

 「平和ボケ」して群雄割拠の世界を勝ち抜いていくという「国家意志」(意志こそが国家の原理である)が薄弱になり、それがモチベーションの全般的な低下をもたらしたのである(国民個々の生存モチベーションまでも低下気味である)。群雄割拠の世界を勝ち抜いていくという「国家意志」を呼び覚まし、国民のモチベーション全般を復興しなければ、グダグダが続くだけだろう。

 

 はじめの第一歩は、国の指導者が、「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。その覚悟がない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」(塩野 七生)。