断章194

 尾崎 秀実(おざき ほつみ)。1901年生まれの、この男は、知性の点では申し分無かった。なにしろ、「評論活動をしていた当時は、『最も進歩的な愛国者』『支那問題の権威』『優れた政治評論家』などと評価され、評論家としての権威・評判は共産主義が抑圧されていた言論状況のもとでも高いものであった」(Wikipedia)というのだ。生きていたら、「反知性主義」批判の先鋒をしているかも。

 この男は、「朝日新聞記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務め、近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(シナ事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。

 共産主義者であり、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソヴェト連邦の諜報組織『ゾルゲ諜報団』に参加し、スパイとして活動。最終的にゾルゲ事件として1941年(昭和16年)発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。共産主義者としての活動は、同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称『もっとも忠実にして実践的な共産主義者』として、逮捕されるまで正体が知られることはなかった」(同前)。

 同じようなことが、今の時代にも、粛々と実行されているだろう。イデオロギーやカネや色気の虜になる人間が絶えることはないのだから。

 

 「中国の影響工作に関心が高まっている。オーストラリアにおける中国の影響に関しては、クライブ・ハミルトン氏が2018年2月に『目に見えぬ侵略』を執筆。ブックセミナーでワシントンDCに来た際には、約束していた出版社が中国の圧力で断りを入れてきた話を披露、オーストラリアにおける『侵略』の深刻さを語った。

 アメリカに関しては、2018年10月末に、フーバー研究所が『中国の影響とアメリカの国益―建設的警戒の促進―』を発表。議会、メディアから教育、研究機関、シンクタンクまでアメリカ内で広範に中国の影響工作が浸透していると警鐘を鳴らした。(中略)

 『経済的つながり』は中国に影響工作の機会を与える。例えば、香港国家安全維持法に対するドイツ政府の反応が慎重な背景には、ドイツの自動車業界にとり中国が最重要市場であることが関係しているとみる識者は多い。日本にとっても日本企業のビジネス機会を考えれば、中国との経済的なつながりを断ち切ることは容易ではなく、また望ましくもない。

 さらに、『経済的つながり』には戦争抑止というプラスの効果があるとの指摘も以前よりある(ノーマン・エンジェル)。しかし、同時に『経済的つながり』の深さが、理念や価値観に基づく自立的な政治・外交判断を制約するリスクがある点には、つねに自覚的である必要があろう。

 コロナウイルスをきっかけに、中国への依存度が高い日本のサプライ・チェーンに関して見直しが必要ではないかとの議論が盛んになった。

 日本政府も2020年度補正予算で、中国からと限定はしていないものの、生産拠点が集中する国からの国内回帰や第3国移転を支援するために2435億円を計上した。医療関連品や重要物資など一定の分野で中国からの立地の移転が見込まれるが、日本の製造業全体が中国市場から撤退するという状況は想像しがたい。

 とくに、中国市場を狙うために中国に工場を設立している場合には、こうした工場の多くが中国の外に移転する状況とはならないだろう。したがって、『経済的つながり』が残ることを前提としつつ影響工作への耐性を高める工夫が重要となる。

 さらに、日本では中国による企業や大学における知財窃取・スパイ活動の検挙がアメリカのように頻繁ではない。・・・情報管理や防諜体制が不十分で、単に中国の影響工作を探知・発見できていない可能性もある。

 とくに、サイバー攻撃の探知・把握に関しては、わが国として早急にその能力強化を図る必要があろう。また、仮に現在の日本への影響工作が限定的に見えたとしても、それは中国が日本で影響工作を行う能力が不十分であることを意味しない、とのグローバル台湾研究所のラッセル・シャオ氏の指摘は重要であろう。(中略)

 コロナウイルスや香港国家安全維持法等による中国への警戒感の世界的な高まりは、短期的には中国の影響工作への逆風となろう。しかし、そうした環境であればこそ、より戦略的で洗練された影響工作が展開される可能性もある。

 幸い、日本においては政治指導者等が中国の言いなりとなるような『エリートの虜(とりこ)』現象は限定的と見受けられる。しかしながら、それは中国の影響工作に対して何らの対応も不要ということは意味しない。スチュワート氏も指摘しているが、基地や重要インフラの近接地の土地買収に関する安全保障上のスクリーニングについて、アメリカは法制整備済みだが、わが国ではまだ法制化されていない。

 有志国との緊密な情報共有のためにも、政府職員に限定しない民間人もカバーするようなセキュリティー・クリアランス制度の導入も喫緊の課題である。また、秘密特許制度の導入や、防諜能力強化のための議論も必要であろう。中国との互恵的な交流を安定的に続けるためにも、今、“建設的警戒”とそれに基づく仕組み作りが求められている」(2020/08/31 東洋経済、大矢伸:アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員の記事から抜粋)。

 

 「『日本の社会を操るのは極めて簡単だ。いくつかのターゲットだけを狙って、それぞれ少しずつ品を替えながら集中的に働きかけたら、日本の中枢部はいっぺんに洗脳できる』。

 これは、スパイ・ゾルゲが残した、日本人が大いに教訓とすべき証言です。

 簡単に操れる日本を、ゾルゲは『カニ』にたとえています。日本という国は、カニの甲羅のように最初はガードが堅くてなかなか中に入れません。仲間同士内側でまとまっていて、外国人はまったくのよそ者扱いで排他的だ、というのです。

 しかし、甲羅の端からいったん入ってしまえば、中はズブズブのすき間だらけで、たやすく甲羅の中心までじつに簡単に入っていけます。みんな同じことを考えていますし、『あの人の知り合いなら』といって、すぐに気を許してしまうからです。

 甲羅の中心、つまり日本国の中枢部の実体がいかに頼りないかを、ゾルゲは私たちに遺言として残したのですが、じつはその構図は、戦後も戦前とまったく変わっていません」(『本質を見抜く考え方』 中西 輝政)。