断章199

 憂き世に住まえば、「天は我々を見放した」ことも、「神は死んだ」ことも、実は心の奥底では分かっているのである。ただ、それでは余りにも心もとないので、ある人は富貴栄華を約束する世俗の「宗教」にすがり、ある人は富貴栄華をもたらすという「自己啓発」に励むのである。

 ところが、おのれの「賢さ」「知性」を誇り、人間は周りの世界を望み通りにつくることができるという「致命的な思い上がり」を持つインテリは、こうした「宗教」や「自己啓発」では満足することができない。なので、歴史と世界を隈無(くまな)く解明できると豪語する共産主義マルクス主義)に引き寄せられるのである。

 

 マルクスの学説は、歴史と世界を理解するための一つの〈仮説〉だった。しかし、それは、ロシア革命の威光を笠に着るレーニンスターリンによって、「真理であるがゆえに全能である」(レーニン)として、宗教的な〈教義〉にされた。ついには、美しい言葉(プロパガンダ)を話しながら、「党中央の指示」ならどんなものでも躊躇なく実行する全体主義の党(国家)の“ドグマ”に堕落したのである。というのは、‟普通の政党”の政治家は、失敗すれば責任を取るのだが、共産党の指導部は、「党中央の指導は正しかったが、下級の(一般党員の)努力が足りなかった」と言って責任を取らないからである ―― 宗教者が、「あなたたち信者の信心が足りなかったからだ」と言うのと同じである。

 

 朱に交われば赤くなる。

 共産党の美辞麗句、建て前、プロパガンダになじんできた自称「知識人」リベラルもまた、ジキル文章 ―― 「子供っぽくてナイーブなジキル博士は、あくまでも明るい未来を語り、歴史に残る功績を称え、善良で真摯な姿勢を前面に押し出しています。このような『きれいごと』『建て前だらけ』の文章を読むときには、飾り言葉、美辞麗句を黒く塗りつぶして読んでみることです」(ひきたよしあき) ―― が習い性になった。

 あまつさえ、さらには、自分たちと違う考えを持つ者を「反知性主義」だと小馬鹿にする“差別主義者”に転落する者たちもいる。例えば、松任谷由実に「醜態をさらすより、早く死んだほうがいい」(ママ)とツイートした、白井 聡(京都精華大学教員)である。

 白井は、ツイート削除後に、「偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった」と弁明した。しかし、当然、ネットでは、「謝罪に見せかけて、自分と違う考えを持つものはバカだと言ってるだけだ」と言われたのである。そもそも、一般論として、偉大なアーティストは同時に薬物依存などの“困ったちゃん”であることも多いのは周知の事実であるから、これはご都合主義的な弁明なのである。

 

【続報】

 以下、『週刊新潮』2020年9月17日発行号掲載から引用・再構成 ―― 

 白井 聡・京都精華大学専任講師(43)は早大を出て一橋大の大学院で博士号取得。専門はレーニン研究だったが、2013年、『永続敗戦論』が複数の賞を受賞する(引用者注:父親が早大の元総長なので、忖度されたかな?)と、リベラル論壇のスターに。以来、安倍批判で引っ張りだことなった若手学者だ。

 万人に公開されているSNS上ですら、あの暴言である。非公開の講義では一体、どんな様子なのか。その風景を覗いてみると……。「暴言」を聞いて、「白井先生が言いそうなことだな、と思いましたよ」と言うのは、数年前、彼の授業を受講していた京都精華大の卒業生である。「あの人、授業自体は極めて真面目なんです。ただ、政治の話になると“別人”になる。必ず安倍首相の悪口になって最後は止まらなくなる……」。「事ある毎に“安倍は馬鹿だ”。反安保、反原発の話は毎日で、“H-IIAロケットは軍事にも転用できる”とも言っていました。火が点くと授業が政権批判のオンパレードになり、“安倍は成蹊卒だろ? 僕は早稲田だよ”とも」。

 反安倍は自由。だが、立場が異なる人に「死ね!」とは批評とか批判以前の、落書きレベルの話。そもそも、ユーミンは単に労をねぎらっただけである。もちろんこれには批判が殺到し、結局、本人は謝罪、大学からも厳重注意を受けたのだ。

 「社会的、文化的に地位がある人が、口汚く権力を罵る。彼はそんなギャップが受けて寵児となった。言うなれば、アイドルがAVデビューしてしまったようなものです」と分析するのは、『反安倍という病』の著者、八幡 和郎・徳島文理大教授。「その意味では今回の発言もその延長線上にあります。しかし、幼稚なレベルになってきましたね。論外です」。

 当の白井氏に見解を尋ねたが、回答はなし。