断章206

 1989年末、資産価格の上昇と好景気などを背景に株価はうなぎ登りとなり、日経平均株価は、史上最高値3万8,915円を付けた。これはまさに歴史的なピークであり、その後30年を経過してもなおこのピークを超えていない。日経平均株価に象徴されるように、日本経済も停滞しているようにみえる。ほとんど成長していないと、わたしたちは思っている。

 

 「ここでクイズをひとつ」。

 「トマ・ピケティの『21世紀の資本』にある次の文章中の〇にあてはまる国はどこだと思う?

 〇は、『栄光の30年』なるもの、つまり1940年代末から1970年代末の30年間について、かなりノスタルジーを抱いてきた。この30年は、経済成長が異様に高かった。

 1970年代末から、かくも低い成長率という呪いをかけたのがどんな悪霊なのやら、人々はいまだに理解しかねている。今日ですら、多くの人々は過去30年の『惨めな時代』がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている」。

 「〇にあてはまる国は、もちろん日本だろう! と思う人がしばしばいるのであるが、そうではなく、〇に入る国は、ピケティの祖国フランスである。日本人が『物事は以前のような状態に戻る』と考えているようなことを、実は世界中の高度経済成長を過去に経験したことのある先進国の人たちが考えているというわけである。

 たしかに、西欧と日本は1950~70年に大きな経済成長を経験している。それは当然と言えば当然で、西欧は、大戦で破壊され、その間、アメリカは順調にマイペースで成長を遂げていた。したがって、戦後になると西欧はアメリカへの、生産技術・ライフスタイルのキャッチアップを図る機会があったから、大きく経済が成長し人々の生活水準は上がった。

 日本が戦後、高度成長期を迎えたのも似たような理由による。知識や技術、そして消費生活がアメリカに追いついたら、西欧も日本も経済成長は、アメリカと同様のペースに落ち着いていき、多少の違いを見せるだけになる。

 キャッチアップという本質的には知識や技術の『模倣』でしかないことと、『創造』というものは根本的に違うわけで、その違いが、日本でも、模倣ゆえに、所得倍増計画を派手に達成できた高度経済成長と、創造ゆえに地道となってしまう安定成長の違いをもたらしたと考えられる。

 日本の人口調整済み実質GDPは、欧米先進諸国と比べて、そこそこ伸びている。日本の完全失業率は、生産年齢人口の急減の影響もあって、目下、バブル景気(1986年12月~1991年2月)、いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)と比べて低い水準にある。

 ところが、日本人は、先のピケティの言葉を用いれば、『この30年は、経済成長が異様に低かった。(中略)多くの人々は過去30年の“惨めな時代”がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている』ようなのである。そしてそう信じているのは、日本人だけでなく、フランス人も、そして多くの先進国の人たちもであろう。しかし、過去200年以上のデータに基づいてピケティが言っているように、(1人当たり産出量は)通常は年率1~1.5%程度の成長でしかなかったのだ。それよりも目に見えて急速な、年率3~4% の成長が起こった歴史的な事例は、他の国に急速に追いつこうとしていた国で起こったものだけだ。(中略)重要な点は、世界の技術的な最前線にいる国で、1人当たり産出成長率が長期にわたり年率1.5%を上回った国の歴史的事例はひとつもない、ということだ。

 ここで1人当たり1%程度の成長というと、『以前のような状態に戻る』と考えている人たちはバカにするのだろうが、ピケティも強調しているように、世代が入れ代わるのに要する30年ほどの間に、1%で伸びると複利で計算すれば35%ぐらい増える。1.5%だと50%以上増える。

 生活実感として、明らかに30年前よりも生活は便利になり、質も随分と上がっている。30年前にはスマートフォンはもちろん、携帯電話やカーナビなどもほとんど普及していなかった。もちろん、テレビはデジタルではなかったし、SuicaもETCもなく、ウォシュレットも1992年ごろには普及率20%くらいだったようである。

 ポール・クルーグマン(米ニューヨーク市立大学大学院センター教授)という、リフレ政策をせっせとやって日本の経済にカツを入れろと言ってきた人も、ある頃から日本の人口が減っていることを視野に入れはじめて、彼が書いた2015年の文章には、『日本の生産年齢人口1人当たりの生産高は、2000年ごろからアメリカよりも速く成長しており、過去25年を見てもアメリカとほとんど同じである(日本はヨーロッパよりもよかった)』と、今では日本経済を評価してくれている。

 私がよく言うのが、ビックカメラヨドバシカメラの最上階から地下まで、各フロアを回ってみて、『どうしても月賦で買いたいというものはありますか?』と問うと、高度経済成長期を経験したことがある今の大人たちはみんな、『う〜ん、ないなぁ。月賦かぁ、懐かしい言葉だ』と言う。

 そうした、多くの人たちの購買意欲がとても弱い社会、いや、適切な表現をすれば、ある程度、民間での消費が飽和している社会が、高度経済成長期のようなパフォーマンスを上げることができるとは思えない。

 一方、アメリカでは、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字をとったGAFAなどが注目されるのであるが、1人当たり実質GDPの推移を見れば、どうも、GAFAの元気のよさは、アメリカ国民全般の生活水準の上昇にはつながっていないようである。

 いわば、GAFAというプラットフォームは、一種の搾取システムとして機能しているともいえ、彼の国では、『富める者が富めば、やがて貧しい者にも富が滴り落ちる』という『トリクルダウン理論』―― 理論というには歴史上一度も実現していない理論 ―― は実現していないのであろう。

 だからこそ、映画『華氏119』に登場する、不満と怒りに満ちたアメリカ人が大勢いて、この映画で描かれているように、社会は分断され、民主主義が極度におかしくなっているのだろう」。 ―― 上記は、東洋経済オンライン・権丈 善一から引用・紹介。