断章226

 「新型コロナウイルスの感染拡大に関連した解雇や雇い止めの人数(見込みを含む)が初めて7万人を超えた。厚生労働省によると6日時点で7万242人に達した。雇用情勢の厳しさが改めて浮き彫りになった。

 厚生労働省が2月から全国の労働局やハローワークを通じて日々の最新状況を集計している。9月23日に6万人を超えてから、約1カ月半で1万人増えた。6月に累計で2万人を超え、以降は1カ月1万人ペースで増加してきた。増加のペースはやや鈍化している。厚労省が把握できていない事例もあるため、実際の人数はもっと多い可能性がある。ただ、解雇後の状況を逐一把握できるわけではないため、既に再就職できた人も集計に含まれている。

 4~5月は緊急事態宣言に伴う外出自粛などで宿泊業が大きな影響を受けた。夏以降は製造業で解雇・雇い止めの人数が増加している。業種別では10月30日時点で、製造業(1万2979人)が最多となった。飲食業(1万445人)や小売業(9378人)、宿泊業(8614人)の順に多い。特に非正規労働者の雇用環境が厳しい。厚労省によると新型コロナ関連の解雇・雇い止めのうち3万3千人超を非正規労働者が占める」(2020/11/09 日本経済新聞)。

 

 中国共産党のおはこ(十八番)は、「中国の特色ある社会主義」という“デタラメ”である。あっけらかんと、社会主義市場経済なんて“用語”を造語する。

 日本共産党も同類である。「市場経済といいますと、何か資本主義と同じものだと思っている方もおいでですけれども、市場経済というのは自由に商品が売買され、市場で競争し合う仕組み、体制のことです。これは資本主義に向かう道筋にもなれば、条件によっては社会主義に向かう道筋にもなりうるのです」と、いけしゃあしゃあと語る。

 「おいおい、おまえたちは、ちゃんとマルクスを読んだことがあるのか?」と突っ込んでも、なにかしら虚しい。なにしろ、この人たちは、旧・ソ連や中国を「社会主義国」(地上の楽園)だと全力で宣伝していた人たちなのだから。

 

 なぜ、差し迫った日本の雇用の危機の話題で、中国共産党の「中国の特色ある社会主義」を持ち出したのか。それは、日本の経済体制が、「日本の特色ある資本主義」とでも呼ぶべきものであるからである。

 「株式会社とは、倒産を前提に考えられた仕組みで、前提である『会社の倒産』が起これば、従業員は失業します。つまり、会社は倒産だけでなく失業も前提にしているということなのですが、日本における会社のとらえ方は違うようです。

 本来、会社というのは、『やってみないとわからないから、やってみよう』『失敗したら、次をやってみよう』という仕掛けなのですが、日本ではそのようには考えられていないのです。それはなぜかというと、日本の会社はそもそも、投資の『器』として誕生したわけではなかったからでしょう。

 日本の会社は『ムラ社会の法律的表現型』である。そのように考えれば合点がいきます。

 日本の会社が年功序列制であることも、労働市場流動性がないことも、入社以来のプロパー社員が重用され、例外はあるものの一度会社を離れると非常に条件の悪いキャリアパスを歩まないといけなくなることも、納得がいきます。『倒産』を認めない慣行も理解できます。

 日本において会社は投資の『器』ではなく、法律で表現された『ムラ』であるから、『あ、ダメでした』で済ませることはせず、社会が支えようとするのでしょう。一方で、倒産した場合は『ムラ』としての責任を取らされます。

 まず大企業の場合、しばしば政府は倒産させないように救済します。それはムラの存続にかかわる問題であり、『倒産のインパクトが大きすぎて倒産させられない』状況にあるからです」と、阪原 淳は言う。

 

 かつて小室 直樹は、「資本主義の論理は市場原理である。市場原理(market principle)とは淘汰の法則である。企業は淘汰されて破産する。労働者(経営者をも含む)は淘汰されて失業する(失業者となる)。破産と失業とは資本主義の生命(いのち)である。市場原理が作動せず、破産と失業とがなければ資本主義は死ぬ。市場原理が作動しない経済というのは、実は社会主義なのである。(中略)

 日本経済も死につつある。破産と失業の覚悟ができていないからである。資本主義における覚悟は、破産と失業である。資本主義における危機管理とは、破産と失業のときどうするか、の準備である」。ところが、「日本には、その準備がない」「とりわけ、日本の戦後教育は、こんな大事なことを教えていない」と警告した。

 

 大量失業に備え、第2第3の失業者救済策を準備し、のみならず、さらに大胆に、既得権益を、戦後教育を見直し、以ってコロナ禍を転じて福と為さなければならない。