断章237

 わたしは、現場仕事や実業世界の底辺で生活したから、言うなれば、蟻(アリ)の目を持っている ―― 旧・ソ連や中国を「社会主義国家」と称え続けた日本共産党(不破 哲三)は「科学の目」を持つと自画自賛していた。

 なので、「どんなことをしてカネを稼いでいるのか、どんなところで、どんな人たちと、どんなメシを食っているのか」を知れば、具体的個人を判断する助けになると思っている。

 例えば、生まれてこの方ず~っと「他人の飯を食った」ことがなく、不動産管理という“家業”だけをしてきた、所有不動産を切り売りして大金を“高級車道楽”につぎこむ“ぼんぼん”がいる。そんな“ぼんぼん”は、「いや~、不動産を管理するのも大変なんだよ」と愚痴るのであるが、この種の人間は、「パンが無ければケーキを食べればいい」と言う手合いである。世情に、現実世界に疎(うと)いのである。

 

 ちなみに、日本の「左翼」インテリも世情にうとい人たちである。おおむね日本の「左翼」インテリは、日本と国民大衆を上目線で悪く言いながら、ぬくぬくと暖衣飽食・趣味グルメを楽しみつつ読書三昧で暮らすことを理想とする人たちである。大半は、実社会で揉まれたことのない、およそ実務が苦手で実業はさっぱり駄目な“頭でっかち”である(セールスを嫌いますし、できません)。

 かかる日本の「左翼」インテリは、マルクスが“大好物”である。なぜなら、第一に、日本ではマルクス(の聖典)を講釈・評論していればカネになるからである。第二に、マルクスと自分を二重写しにして優越感(知的で革命的な俺様!)を持てるからである。第三に、同じニオイがするからである。

 

 マルクスは、「ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家、社会主義および労働運動に強い影響を与えた。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。

 フリードリヒ・エンゲルスの協力を得ながら、包括的な世界観および革命思想として科学的社会主義マルクス主義)を打ちたて、資本主義の高度な発展により社会主義共産主義社会が到来する必然性を説いた」(WIKI)。

 「マルクスは子だくさんで、女房はいるし、家政婦だっている。女房は貴族の娘、働いて稼ぐわけがない。マルクスも生活者としてはダメ人間である。大学生の頃から金遣いは荒く、金銭の自己管理は苦手である。マルクスの学生時代、その金遣いのあまりのすごさに父親が頭にきて書いた手紙が残っている。どんなお金持ちの子どもでも、1年に500ターレル(当時の通貨単位)も使う者はいないというのに、お前は700ターレルでもまだ足りないという、ああ何ということだ、という手紙である。当時のベルリン市の幹部の俸給は 800ターレルであった。

 亡命後のマルクスは、ときどき新聞に原稿を書くが、その程度ではどうにもならぬ。定職に就くつもりもないし、だいたい誰も雇ってくれないだろう。収入もないのにマルクス家の生活は贅沢である。生活水準を落として、労働者階級並みの生活で我慢しようなどとはけっして考えない。では、生活費はどうしたか。友人のエンゲルスが面倒を見たのである。

 ・・・エンゲルスマルクスより2つ年下、1820年にドイツで生まれる。父親は裕福な実業家で、イギリスに紡績工場を持っていた。(中略)

 エンゲルスは長男であった。やがて父親が死ぬと、その商売を継ぐ。エンゲルスは嫌だったらしいがしかたがない。彼はマルクスを助けなければならないのだ。しかし、やがてこの商売の権利を他人に譲り、その代償としてかなりの年金を受け取るようになる。ここから彼は相当の金額をマルクス一家に送り続けるのである。その金額は、当時のイギリスの大学教授の所得を超えるものであったという」(『エピソードで読む西洋哲学史』)。

 「1881年12月の妻・イェニーの死後は、病気の治療のために活発に各地を放浪した。1月にはイギリス・ヴェントナーを訪れたかと思うと、翌2月にはフランスを経由してフランス植民地のアルジェリアへ行き、アルジェリアからの帰国途中の6月にはモナコ公国に立ち寄り、さらに7月にはフランスに、つづいて次女ラウラとともにスイスを訪問したが、その後イギリスへ帰国して再びヴェントナーに滞在した」(WIKI) ―― 旅費の出どころは、もちろんエンゲルスからの“援助”だっただろう。これでは、ブルジョワとその寄食者そのものではないか、という人もいる。

 では、日本の「左翼」学者はどうだろうか。例えば、的場 昭弘(マルクス解説学者として有名である)に登場していただこう。

 「かつて朝日新聞で論壇時評を担当したことがあります。『今月の3点』というものを書いていました。論壇委員が全体で8人いて、それぞれが3ヶ月に1回ずつ書く(厳密には2ヶ月半に1回)。論壇委員になると月に10万円近くもらえます。月に1回だけ新聞社に行って、夜の11時、12時までおいしいご飯を食べて、しゃべって酒を飲んで、ハイヤーで帰ってと、これに染まると、もうやめられないという世界」(『最強の思考法』)の住人なのだ(引用者注:学術会議はどうかな?)。

 

 ハンガリー動乱も旧・ソ連崩壊も、遠い過去のことになり、共産主義を、かつマルクスの思想・理論を全面的批判的に検討・剔抉(てっけつ)することなく、マルクスによって現実をただ裁断するだけという“悪弊” 旧弊が復活しつつある。