断章286

 近現代の国家・企業・個人は、〈市場原理〉すなわち、より安くより良い製品・サービスを提供する競争から逃れることはできない。産業革命から生まれた産業社会は、絶えざるイノベーションを運命づけられている。

 例えば、18世紀の無機化学工業の発達から、さらに有機化学工業の発達へ。ベッセマー法などによる製鉄業の発展へ。そして、大規模な工場で大規模な機械を高速運転する必要から、機械の動力は電力になった。戦後の技術革新の波は、原子力、オートメーション、高分子化学工業の発展をもたらし、そして現在のリーディング産業は、情報通信産業である。

 

 イノベーションに立ち遅れれば、国家は衰退・没落し、企業は倒産・破産し、個人は失業・転落する。かかる競争世界、競争社会を勝ち抜き、生き延びるために、国家は公教育、企業は社内教育、個人は出世競争(受験勉強)にリソースを注いできた。

 そして、今日のテクノクラシー的な産業社会は、高等教育と知識階級を大量に必要とする。知識階級とは、テクノロジスト、エンジニア、経営管理者、官僚、学者などである。但し、今日の「テクノクラシー的な産業社会における人文系知識人の社会的立場は、技術系知識人のそれに比べれば、より周辺的で疎外されたものになっている」(A・W・グールドナー)。さらにネット空間の発達が、これまで彼らだけの特殊な既得権益だった「言論空間」を狭めている。

 人文系知識人は、この「言論空間」の狭まりにいらだっている。それが、ネット民に対する「反知性主義」の大合唱であり、菅政権による「日本学術会議への任命拒否」という彼らの“ギルド的特権”への介入に対する、「知識階級への宣戦布告だ」(内田 樹)という大仰な反応に現れたのである。