断章288

 「知識階級は、彼らの高い文化こそが人類の最大の業績と最も深遠な古来の知恵、そして最も進んだ近代科学の知識を代表していると信じている。また、これらが人類の福祉と健康に役立ち、それゆえに彼らはこれに応じてより大きな報酬を与えられてしかるべきである、と信じている。知識階級は、世界は優れた能力、知恵を所有するものによって、つまり彼ら自身によって統治されるべきであると信じている。プラトニック・コンプレックス、すなわち、それによって西洋哲学が始まった、哲学者を王に、という夢は、知識階級の最も深層の願望を充足するファンタジーである」(A・W・グールドナー)。

 だが彼らのうちのある者は、周囲を見渡し次のことに気づく。彼らは彼らの上に立つ政財官のエリートは、「結局ただ金だけが目的であり、無教養で、無能である」こと。「超富裕層の巨万の富と下層民の食うや食わずの生活の断絶」に。そして、「生産手段の社会化」を唱える共産主義マルクス主義)に惹かれていく。左翼インテリが誕生する。

 

 旧・ソ連憲法は、「ソ連における生産手段はソビエト市民によって公的に所有される」と定めていた。しかし、そのことは、本当はいったい誰がソ連邦を現実に支配(指揮命令・管理統制)し、誰がそこから私的な利益を得ていたかを隠す“空文句”だったことを、今では誰でも知っている。

 全体主義共産党官僚 ―― ノーメンクラトゥーラ、すなわち共産党単独支配国家におけるエリート層・支配階級や、それを構成する人々 ―― が支配し、彼らだけが“ご馳走”を食べていたのである。

 

 日本の人文系知識人のうちに多くいる、日本共産党に同伴する知識人たち(左翼インテリ)。

 空虚でネガティブな「社会批評」やマルクス主義の「解説本」を書くことしか能のない彼ら(左翼インテリ)は、もしも共産党が権力を握れば、旧・ソ連邦の“御用知識人”のように大切にされ厚遇されるだろうと期待している。

 だから、日本のガラパゴス化した左翼インテリたちが、「共産党とは、優しい声で人をたぶらかして家に上がりこみ、人を取って食う『赤頭巾をかぶったオオカミ』である」ことを認める日は、永遠に来ない。

 

 同伴知識人は、共産党が「自由」とりわけ「言論・表現の自由」に反対する全体主義政党であるということを、保守のデマだと主張する。

 しかし、同伴知識人は、共産党に参加すれば、「民主集中制」に伴う厳しい「規律」(制限)があることを知っている。

 だから、同伴知識人は共産党と全く同じことを主張しつつも共産党には参加せず、市民社会の「言論・表現の自由」を利用してネガティブな「社会批評」を垂れ流し、“自由”に稼ぐという選択をしているのである。

 共産党(幹部)は、現実の党活動に携(たずさ)わる者として、党活動に対する責任と義務を担(にな)わない同伴知識人を内心では軽蔑しつつも、同伴知識人が醸成する「反政府的空気」を利用するために、同伴知識人の“自由”を許容している。持ちつ持たれつなのである。