断章313

 さる14日、「丹波の山ザル」が死んだ。

 「世界的な霊長類学者で、兵庫県人と自然の博物館名誉館長、京都大名誉教授の河合雅雄氏が14日午前、老衰のため丹波篠山市の自宅で死去した。97歳。丹波篠山市出身。故・今西錦司氏の門下で生態学と人類学を専攻し、アフリカで霊長類進化学を研究。(中略)

 野外調査に重点を置いて、芋洗い行動などニホンザルの社会構造を解明し、サル学の権威として海外でも知られた。(中略)

 終生『丹波の山ザル』を自称した」(2021/05/15 神戸新聞)。

 「児童文学も執筆。現代社会で子どもが集団行動を通じて想像力や社会性を養う環境が薄れつつあることに警鐘を鳴らした」(2021/05/15 日本経済新聞)。

 

 人間はどこから来たのか。人間とは何なのか。そもそも人間とはいかなる存在なのか。このような問いに答えようと思ったら、サル学を知るべきである。「サル学」は、人間(ヒト)の本性(普遍本質)の深い理解に不可欠な学問である。

 

 「チンパンジーの社会は、アルファオス(第一順位のオス)を頂点としたきびしい階級社会で、下位(下っ端)のサルはいつも周囲に気をつかい、グルーミング(毛づくろい)などをして上位のサルの歓心を得ようと必死だ。

 そんなチンパンジーの群れで、順位の低いサルを選んでエサを投げ与えたとしよう。そこにアルファオスが通りかかったら、いったいなにが起きるだろうか。

 アルファオスは地位が高く身体も大きいのだから、下っ端のエサを横取りしそうだ。だが意外なことに、アルファオスは下位のサルに向かって掌を上に差し出す。これは『物乞いのポーズ』で、“ボス”は自分よりはるかに格下のサルに分け前をねだるのだ。

 このことは、チンパンジーの世界にも先取権があることを示している。序列にかかわらずエサは先に見つけたサルの“所有物”で、ボスであってもその“権利”を侵害することは許されない。すなわち、チンパンジーの社会には(自由の基盤である)私的所有権(引用者注:のようなもの)がある。

 二つめの実験では、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に2頭のチンパンジーを入れ、それぞれにエサを与える。このとき両者にキュウリを与えると、どちらも喜んで食べる。ところがそのうちの一頭のエサをブドウに変えると、これまでおいしそうにキュウリを食べていたもう一頭は、いきなり手にしていたキュウリを投げつけて怒り出す。

 自分のエサを取り上げられたわけではないのだから、本来ならここで怒り出すのはヘンだ(イヌやネコなら気にもしないだろう)。ところがチンパンジーは、ガラスの向こうの相手が自分よりも優遇されていることが許せない。

 これはチンパンジーの社会に平等の原理があることを示している。自分と相手はたまたまそこに居合わせただけだから、原理的に対等だ。自分だけが一方的に不当に扱われるのは平等の原則に反するので、チンパンジーはこの“差別”に抗議してキュウリを壁に投げつけて怒るのだ。

 三つめの実験では、異なる群れから選んだ2頭のチンパンジーを四角いテーブルの両端に座らせ、どちらも手が届く真ん中にリンゴを置く。初対面の2頭はリンゴを奪い合い、先に手にした方が食べるが、同じことを何度も繰り返すうちにどちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。

 このことは、身体の大きさなどさまざまな要因でチンパンジーのあいだにごく自然に序列(階層)が生まれることを示している。いちど序列が決まると、“目下の者”は“目上の者”に従わなければならない。ヒトの社会と同じく、組織(共同体)の掟を乱す行動は許されないのだ。

 このようにチンパンジーの世界にも、『自由』『平等』『共同体』の正義がある。相手がこの〈原理〉を蹂躙すると、チンパンジーは怒りに我を忘れて相手に殴りかかったり、群れの仲間に不正を訴えて正義を回復しようとする。興味深いことに、自由主義、平等主義、共同体主義はいずれも『チンパンジーの正義』とつながっているのだ」(橘 玲)。