断章337

 「近年、農耕開始以前の旧石器時代が再評価され、場合によっては『平等で自由で健康な楽園(ユートピア)』として描かれている」という。

 

 ランガムは、狩猟採集民の平等主義の実態について書いている。

 狩猟採集生活をする「人々は、平均50人以下の『バンド』という集団で生活する。領域内にそれぞれのバンドが小区域を占めて暮らし、数週間程度で次の場所へ移る。あたりの食べ物がなくなって採集がむずかしくなると移動して、たいてい以前住んでいた場所に戻ってくる。バンドには通常10~20人の既婚者がいる。人口のだいたい半分が子供で、成人の一部は年が若かったり、配偶者と死別したりして、結婚していない。構成員は流動的だ。親戚と合流したり、人間関係のトラブルを避けたりするために、家族が別のバンドに移ることもある。バンドの人数はいろいろだが、どれも規模は小さい。

 狩猟採集民の人間関係の際立った特徴である平等主義は、バンド内の5~10人の既婚の男たちに集約されている。この数人の男が『長老たち』、またはアーネスト・ゲルナーの言う『いとこたち』だ。

 狩猟採集民にボスがいないのはなぜだろう?

 狩猟採集民にボスがいないのは殺害があるせいだ、とウッドバーンは示唆した。『脅威と見なされた構成員の暗殺は…平等の強力なメカニズムとして直接機能する。富、権力や名声の不平等は…保有者が効果的な防衛策を持たない場合、危険となりうる』。

 小規模な集団のなかでは人々はつねに平等主義的な規範にしたがう傾向がある。小集団内で私利を追求したり、主導権を握ったりしたがる者は、すぐに恨みを買う。

 伝統という社会の檻が、閉所恐怖症的な集団規範への服従を求める。ゲルナーはそれを『いとこたちの専制』と呼んだ。

 文化的ルールが最優先で、個人の自由は制限される。進んでルールにしたがうかどうかが、生死を分ける。ゲルナーの言う『いとこたち』は、字義どおりの血縁者という意味ではない。小規模社会で決定権を握るおとなの集団という意味だ。その権力は絶対的で、指示にしたがわなければ危機的状況に陥ることになった。

 集団規範を逸脱する者は、意図的に反抗しているとみなされ、まわりからの抗議が強まる。侮辱、嘲笑、無視が発生し、集会の前に逸脱者に向けて嘲りの歌が歌われることもある。

 さらに厳しい方法が必要な場合には、孤立させたり追放したりすることが効果的だ。小集団で生きるほとんどの人にとって、避けられ締め出されることはひどくつらいので、たいていそれで目的は達成される。

 最終的な制裁は、ことばや社会的圧力に動じず死刑以外に効果がない人々をしたがわせるために必要とされる。死刑は非常に横暴な男さえ抑えこむことで、ふだんから支配欲が抑制された平等社会という特異な現象を支えている。

 刑務所や警察が存在しない世界では、目に余る反応的攻撃は処刑で止めるしかない。つまり、移動生活をする狩猟採集民に見られる平等主義はすべて、極端に攻撃的な個人が(引用者注:利己的な個人も)殺されることを内包している。支配的な行為がないことが取り柄の平等主義が、人間がなしうる最も支配的な行為によって維持されているというのは、皮肉で不穏な結論だ。

 また、文化的ルールをないがしろにすることは、重罪とみなされる行為のひとつである。

 例えば、1920年代にオーストラリアの狩猟採集民とすごしたロイド・ワーナーの報告では、リアゴミル族が、トーテム信仰のカーペットニシキヘビの紋章が描かれた木製のラッパを用いて、儀式を行っていた。ふたりの女が儀式の場にこっそり近づき、男たちがラッパを吹いているのを見て、女性の集落に戻り、その話をした。戻ってきた男たちは、ふたりの行為を耳にした。族長のヤニンジャが『いつあいつらを殺す?』と訊くと、全員が『いますぐ』と答えた。その一族の男たちは、他の集団の男たちの手も借りて、すぐにふたりの女を殺害した」(『善と悪のパラドックス』から抜粋・再構成)。

 

 そうした文化的ルールは、今も世界に多く残っている。

 「先週、インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、17歳のネーハ・パスワンさんが親戚に殴り殺されるという事件が起こった。ネーハさんの母親がBBCヒンディーに語ったところによると、ネーハさんの服装が気に入らなかった祖父やおじなど親戚数人が、彼女を棒で激しく殴りつけたという。事件が起こったのは、7月19日、州内でも経済発展のスピードが遅いとされるデオリア地区の小さな村。日中、ネーハさんは宗教上の教えに従って断食し、夕方になってからジーンズとトップスに着替えて儀式を行ったという。祖父母が彼女の服装に文句を言うと、ネーハさんは『ジーンズは穿くために作られたものよ。だから穿いてるの』と言い返したという。祖父母は引き下がらずに口論がエスカレート。ついに祖父がネーハさんに暴力を振るったと、母親はBBCヒンディーにコメントしている。殴られて意識を失ってしまったネーハさんを、父方の親戚が病院に連れていくと言って、三輪タクシーに乗せて連れて行ったという。翌朝、川に架かる橋に女性に遺体がぶら下がっているとの情報を耳にした母親が現場に駆けつけると、そこにいたのは変わり果てたネーハさんだった」(2021/07/28 女性自身)。