断章363

 マルクスの理論(思想)は、「体系」の名にふさわしく、A~Zの全体で構成された「理論体系」である。ところが、昨今、斉藤某や白井某といった「左翼」インテリが、A~Zのうちの一部分(たとえばECOとかAHO)をご都合主義的に抜き出して強調した“著作”を売っている。

 「左翼」インテリや自称「知識人」リベラルたちには、受けが良いらしい。彼らも、スターリン主義的偏向に汚染された「決まり文句」だらけの、新味のない古臭いものには、うんざりしているからだ。スターリン主義的偏向より空想的ユートピア主義的偏向の方が、新鮮でオシャレというわけだ。

 40年以上昔、マルクスがロシアの女性革命家ヴェーラ・ザスーリチと交わした「書簡」がひとしきり話題になったことがあった。あれなんかもマルクスのA~Zにいたる「体系」の一部分を切り取って、“話題”にしたものだった(理論的な成果はゼロ)。

 

 老人特有の「繰り言」みたいで気が進まないが、何度でも言う必要があるから言っておく。マルクス理論(思想)、つまり史的唯物論をAとして始まる「体系」的マルクス理論のXYZ(注:『シティハンター』冴羽獠を呼ぶコールサインもXYZ)、すなわちマルクスの理論(思想)「体系」の結語であり核心であるのは、「プロレタリア社会主義革命」「プロレタリアート独裁」「共産主義」である。

 もちろん、“マルクス読み”を仕事にする斉藤某や白井某が、こうしたことを知らぬはずがない。だが、斉藤某や白井某などのずるがしこいお坊ちゃんたちは、姑息にもこのことに口を閉ざしている。なぜなら、そんなファクトを書けば、“ぶち壊し”になって、たちまち“著作”の売れ行きにも悪影響を及ぼすからである。