断章365

 マルクスの理論(思想)「体系」は、戦艦ヤマトのように無敵に見えたし、旧・ソ連の崩壊までは、実際にある程度はそうであった。

 だが今、〈救国救民〉を志す人、「わたしたちの国を守り前進させるのは、わたしたちの聖なる義務であり、名誉だ!」という〈義〉に立つ人は、マルクスからポル・ポトたちに至る共産主義者のすべての理論と実践が、人類にとって無益なもの ―― 無益というよりもっと悪いものであったことを、重ねて主張しなければならない。

 というのは、私有財産制度に根ざす疎外がなくなれば地上の楽園がこの世に現われる、というマルクス理論(思想)のエッセンスは幻にすぎないことが、またもや忘れられているからである。

 

 人間とは、歴史を忘れ飽くなき欲望をもつ生き物である。だから、ひとたび、ふたたび、「大きな獣を追い払っても、そいつは駆け足で戻ってくる」。大きな獣とは、赤色全体主義であり、黒色全体主義であり、カーキ軍事独裁(例えば、今のビルマ軍政)である。

 大きな犠牲をはらって大きな獣を追い払ったはずなのに、数十年経つと(ひどいのは数年内に)、追い払ったはずの暴政・悪政がよみがえり、権勢享楽のおごりが復活する(注:革命後のスターリンや毛 沢東たちの暮らしぶりを見よ!)。

 

 「今日の政治にかかわる人々の多くは、歴史的文脈の視点を欠き、いま直面している問題が過去に起きた問題といかによく似ているかを理解していない。人類史を通じて、人の本性は変わっていない。〈再世襲化〉、すなわち支配階級が政治制度を私物化し自分の目的のために使おうとするような慣行は、中国の後漢時代や17世紀フランスと同じように、現代でも普通に行われている」と、フランシス・フクヤマは言う。

 

 スターリンの「大粛清」、毛 沢東の「大躍進」「文化大革命」、ポル・ポトの「キリングフィールド」、金 正日の「矯正収容所」、連合赤軍の「同志殺し」などの歴史の血の教訓は、その理論と実践の完全な破産というエビデンス(注:「証拠」「裏付け」「科学的根拠」という意味)を示している。しかし、「左翼」インテリは彼らのイデオロギーである共産主義マルクス主義)にしがみついている。

 

 「共産主義運動は、ユートピアの夢と権力欲の結合からくる魅力によって、人々を迷わせ誘い込む。コミュニズムの主たる手段は、思想的浸透と政治的術策による、陰謀的活動にあり、これによってその目的をはたそうとする」(ニーバー『共産主義との対決』解説から)。

 共産主義とは、赤色全体主義である。「このことは歴史の通観により明らかではないか?! わたしたちは、この危険な敵に対して、勇気をもたねばならぬばかりか、細心の注意もはらわなければならない」(同上)。