断章367

 「1958年に、『15年以内にイギリスを追い越す』と宣言した毛 沢東・中国共産党が発動した大躍進政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と、産業・インフラ・環境の大破壊をもたらした。香港大学人文学教授が未公開資料と体験者の証言から、『大躍進』期の死者数は4500万人、大半が餓死者で、250万人が拷問死にのぼると算出。その最大の犠牲者は農民であった」(『毛 沢東の大飢饉:史上最も悲惨で破壊的な人災』2019)。

 

 これほどの惨禍が、「文化大革命」ほどには今の中国に影を落としていないように見えるのは、被害者と関係者の多くがすでに冥界に去ったり、あるいは記憶を封印したり、なによりも「大躍進政策」期の中国が「人口爆発」の時代であったからである。

 「根底にある人口モメンタムがあまりに大きかったため、人口は増え続けた。1950年に5億を少し超え、1967年に7億5千万人まで増加した。これは合計特殊出生率が1960年代に入っても6を維持し、平均寿命が1950年からの20年で、45歳未満から60歳を超えるまで延びた」(『人口で語る世界史』)。

 

 「1976年の毛沢東の死から数年後、中国は明確な“近代化”政策に着手したが、そこでは人口抑制が重要な要素だった。それを指示したのは、のちに中国共産党総書記となる胡 耀邦だった。彼は1978年に『人口問題は何よりも重要である』と宣言した。(中略)

 1979年から2015年までの間、はっきりと『一人っ子政策』が行われた。その中には勧告、金銭的報奨、制裁等の措置があった。

 たとえば、ある中国人女性は、家族や生まれてくる子が教育を受ける権利に重大な悪影響があると知っていても、子供を作る決意をした。

 ところが、『2014年3月、家族計画委員会から6~7人の人が家に上がり込みました。そのうち2人が家で待つ役を割り振られました。他の4人が私を、家の前で待たせていた車に無理やり乗せました。体の不自由な母は、うしろの車に乗せられて病院までついてきました。その日の午後、病院で医者が中絶の薬のオキシトシンを私の腹部に注射しました・・・その後、医者はもう一本注射し、それは痛み止めだと言いました。でも痛みは収まりませんでした。子宮をきれいにする処置は信じられないほど痛かった。ベッドに横になり、体が切り開かれて壊されるような気がしました。私は泣き続けました。私の赤ちゃんは一言も発する機会さえ与えられませんでした。私の子は政府に命を奪われたのです』。

 しかし、『一人っ子政策』の大きな皮肉は、ほぼ必要ではなかったことだ。これは二つのやり方で証明できる。第一は、中国国内の歴史的な流れと照らし合わせてみること。1981年、一人っ子政策が実施されたときの中国の人口は10億人を超えていた。(中略)

 それでもこの時点で、出生率はすでに急速に低下していた。10年で女性一人が生む子の数が6人から3人になっていた。この傾向は1970年代から顕著だったので、一人っ子政策の効果とは考えられない。もちろん中国の人口増加も減速していた。年間の増加率1.4%はまだ高かったが、10年前の3%近くに比べれば半分である。つまり中国社会は国の強制的な介入がなくても、独自の力学によって問題に対処していたのだ。

 『一人っ子政策』が不要だったことを示す第二の方法は、外国と比較してみることだ。中国の出生率の実際の動きは東アジア、東南アジアの他の国とそれほど違わない。・・・台湾では、1970年代半ばの出生率は3前後にまで低下していた。(中略)

 韓国は1970年代後半に合計特殊出生率が3まで低下し、1990年代後半には1.5になっている。このように韓国も台湾も ―― そして他のアジアの国も ―― 一人っ子政策を実施した時の中国と、出発点はだいたい同じだったが、中国共産党が必要と感じた強制的な手段に訴えなくても、出生率は同じくらい、場合によってはさらに大きく低下したのだ。

 ここで教訓として引き出せるのは、人口の潮流は独りよがりのエンジニア気取りの権力者よりも、ふつうの人々に任せるのが一番いいということだ。教育、避妊法を入手するある程度の機会を与えれば、たいていの男女、特に女性は自分自身のためになる、そして社会の要求にもかなった決定を行う。少なくとも出生率の低下についてはそうだ。(中略)

 個人が知識を身につけ自ら決定を行えるなら、その人たちに任せておけば、少なくとも出生率を低下させる必要性に関しては、彼ら/彼女ら自身の利益にもなり、社会の利益にもなる決定を行う可能性が高い。

 しかし(引用者注:紅色全体主義で、トップダウン志向で、独りよがりのエンジニア気取りの)中国の指導者たちはそれを認識していなかった。『このアプローチは、党がじゅうぶんに努力をすれば、あらゆる問題を解決できるというレーニン主義の概念に導かれている』」(前掲書から抜粋・再構成)と言ったのだ。