断章427

 「戦略をもつことは目先の小さな事にこだわらずに、長期で本質的な事を見通し、症状ではなく原因に対処し、木よりも森を見る能力を意味する」と、ローレンス・フリードマンは言った。総合戦略評価(ネットアセスメント)において、「地政学」は大きな比重を占めている。

 

 ところが、「地政学は、ソ連時代のロシアではかたくなに敵視されていた。たとえば、1974年に出版されたL ・ A ・モドリョーザンの『軍事冒険主義の道具としての地政学』のなかでは、地政学は西ドイツの報復主義者たちや毛沢東主義者、シオニストたちの間で“軍事的な冒険”のための道具となった、と指摘されていたほどだ」。

 「しかし、ソ連崩壊という未曽有の危機に直面してから、共産主義というイデオロギー以外の国家政策の拠り所として、昔の敵が使っていた地政学の理論を真剣に研究し始めた」。

 「ソ連崩壊と冷戦終結の後を継いだ新生ロシアでは、地政学の研究が本格的に進められている。ただしこの地政学の活用のされ方は、欧米、特にアメリカのそれとは大きく異なり、イデオロギー的なものと絡み合って活用されていることが特徴的だ」。

 「『地政学エセ科学であり、憎むべき資本主義者たちが大衆の間に軍国主義と熱狂的愛国主義を広めるためのイデオロギー的な道具だ』という非難は消滅した」(以上、『地政学 ―― 地理と戦略』五月書房から)。

 

 2008年、ジョージ・フリードマンは、こう書いている。

 「地政学、経済、そして人口動態上の問題から、ロシアは根本的な転換を迫られている。ロシアは過去100年にわたって、工業化を通じて国の近代化を図り、ヨーロッパ諸国に追いつこうとしてきた。だが努力が実を結ぶことはなかった。そこでロシアは2000年前後に戦略を転換した。過去一世紀間にわたって重点的に取り組んできた工業開発に見切りをつけ、エネルギー資源を中心とする天然資源のほか、鉱物、農産物、木材、貴金属などの資源輸出国として生まれ変わったのだ。

 工業開発から原材料に重点を移すことで、ロシアはそれまでとはまったく異なる、発展途上国にありがちな発展経路をたどった。だがエネルギーと商品価格の予期せぬ高騰によって、ロシア経済はこの措置を通じて救われたばかりか、強化され、特定産業(引用者注:軍産複合体である)の復興を推進できるまでになった。そして何より重要なことに、天然資源の生産は工業生産ほど労働集約性が高くないため、ロシアは人口が減少しても維持できる経済基盤を手に入れたことになる。

 またロシアは国際システムに影響力を行使する手段をも手に入れた。ヨーロッパはエネルギーを渇望している。ロシアはヨーロッパに天然ガスを供給するパイプラインを建設することで、ヨーロッパのエネルギー需要を満たすと同時に、自国の経済問題を解決し、ヨーロッパをロシアに依存する立場に置いたのである。エネルギー不足の世界にとって、ロシアの輸出するエネルギーはヘロインのようなものだ。手を出したら最後、やめられなくなる。ロシアはすでに周辺国を意のままに操る手段として、天然ガス資源を利用している。この力はヨーロッパの心臓部にまで及んでいる。今やドイツと東欧の旧ソ連衛星国のすべてが、ロシアに天然ガスを依存している。それ以外の資源を合わせれば、ロシアはヨーロッパに多大な圧力をかけることができる。

 だが依存は諸刃の剣になりかねない。軍事力の弱いロシアは、周辺国に圧力をかけることができない。かえって周辺国に富を強奪される恐れがあるからだ。したがってロシアは軍事力を回復しなくてはならない。金持ちで弱いというのは、国家として非常にまずい状態だ。天然資源に恵まれたロシアがヨーロッパに資源を輸出するには、富を守り、自らを取り巻く国際環境を規定するだけの力を持たなければならない。

 (2008年からの)今後10年間でロシアは(少なくとも過去に比べれば)ますます豊かになるものの、地理的には不安定な状況に陥る。したがって資源輸出で得た経済力を背景に、自らの権益と緩衝地帯を ―― 続いて緩衝地帯のための緩衝地帯を ―― 他国から守れるだけの十分な軍事力を構築するだろう。ロシアの基本戦略の一つは、北ヨーロッパ平原沿いに奥行きのある緩衝地帯を作る一方で、周辺国を分裂させて操り、ヨーロッパに新しい勢力バランスを築くことである。

 ロシアが断じて許容できないのは、緩衝地帯のない緊迫した境界を、周辺国が団結して守るような状況だ」(『100年予測』早川書房から)。

 

 となれば、ロシアは、バルト三国フィンランドをこのまま放置し続けることはできない。皇帝ダース・プーチンは、「パンドラの箱」(残っているのは、希望ではなく核兵器である)を開けた。もしウクライナ戦争後に、ロシアがしばらく鳴りをひそめても、けっして油断してはならない。息をひそめて、次の獲物を狙っているのだ。

 

【補足】

 「ロシア中央軍管区のミンネカエフ副司令官は22日、軍事作戦は第2段階に入ったとし、ウクライナに次ぐ標的としてモルドバの国名を挙げた。ロシアでは、ウクライナの首都キーウ(キエフ)の攻略を断念したことへの不満がくすぶっており、親欧米政権が2年前に誕生したモルドバへの侵攻を示唆することで、ロシア国内の主戦論者らの不満を鎮めたい思惑があるとみられる」(2022/04/23 東京新聞)。