断章446

 1986年のことである。日本共産党・不破 哲三は、誇らしげに、「1984年12月、宮本・チェルネンコ会談をモスクワで行い、共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合って、核戦争阻止、核兵器廃絶についての日ソ両党共同声明を出しました」と語った(『労働運動』1986年6月号掲載)。

 日本共産党員の諸君。しっかり目を開けて読みたまえ。

 1984年に、宮本 顕治(1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した)が、チェルネンコソ連邦共産党中央委員会書記長と、「共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合った」と書いてある。

 この会談は、旧・ソ連の大粛清・収容所群島の存在が明らかになり、さらに、「1953年、ソ連軍司令部は東ベルリンの労働者反乱及びドイツ民主共和国における蜂起の激発を制圧した。1956年には、ソ連軍はポーランドの『10月の春』に脅しをかけ、また、 国民的蜂起とイムレ・ナジの合法政府を粉砕すべくハンガリーに介入した。ソ連軍は1968年にはチェコスロバキアに侵入し、チェコスロバキア共産党およびドプチェク政府を従わせた。1981年には、ポーランド戒厳令を布くためにヤルゼルスキ将軍に補給・通信手段を提供した。これらの出来事は、ソ連とっては衛星国に対する帝国主義的な支配が冷酷かつ取り消し不可能なものであるということを示した」(E・モラン)後に行われている。

 1984年におよんで、ソ連共産党と「共産主義者同士として『社会主義の言葉』で話し合い、核戦争阻止、核兵器廃絶についての日ソ両党共同声明を出しました」と言ったことは、第一に、日本共産党の思想的政治的なマヌケぶり ―― ソ連は“社会主義国家”というドグマに囚われている ―― を示している。第二に、日本共産党のいう「核戦争阻止、核兵器廃絶」は、彼らの“プロパガンダ”であることを示している。