断章466

 「〈市場原理〉が働いてこそ、資本主義である。〈市場原理〉が働くとは、自由競争が作動するということは、資本主義には倒産と失業がつきものだということである」(小室 直樹)。また、“資本主義”では、恐慌あるいは金融危機が定期的に発生する。それは、「資本主義体制と自由市場の重要な特徴で、それがまさに資本主義のダイナミズムなのだ。実際のところ、それは体制の効率性とダイナミックな成長のために欠かせない期間である」(マーク・ファーバー)。

 

 とはいえ、資本システムが世界に拡大するにつれて、恐慌あるいは金融危機は、その広がり、深さ、激しさを増し、より多くの勤労大衆(経営者さえも)を苦しめるようになった。こうした経済・社会危機は政府危機・政治危機を生む。

 

 金融資産・実物資産を保有し運用することで生活している“資産家階級”は、資産収益の最大化を目的としているので、政治と経済と資産市場の「安定」「安全」を渇望(かつぼう)する。“資産家階級”は、危機を鎮(しず)めるために“国家”の介入を要求し歓迎する。それが、世界の主要な先進国が第二次大戦後、“国独資”政策や“福祉国家”政策を採用してきた理由である。ところが、それは〈市場原理〉の働きを規制・妨害することでもある。

 〈市場原理〉が作動しなければ、経済は停滞する。なぜなら、変化する環境に適応できない企業を淘汰し、変化する環境に適応できない労働者(経営者をも含む)を失業させて、新しい企業、新スキルの労働者を舞台に上げるメカニズムが、〈市場原理〉だからである。

 

 停滞する経済を浮揚させるために、“超金融緩和”が行われる。だが、無理矢理の「信用拡大でもたらされた好景気は、結局のところ崩壊するのを避ける手段がない。残された選択肢は、さらなる信用拡大を自ら断念した結果、すぐに訪れる危機か、ツケを積み上げた結果、いずれ訪れる通貨制度を巻き込んだ大惨事かだけである」(ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス)。

 

 マルクス主義コミュニズム)に、友愛の世界、平等な社会、自由な人間の“夢”を見る善意の人々は、「資本主義がグローバルに展開するなかで、資本主義が内在させている矛盾が全面的に暴露されてきた。その矛盾は、マルクスがすでに予言していたものだ。だからマルクスを注意深く読めば、資本主義が今後どんな方向に向かっていくか、それを考えるヒントを得られる。マルクスは、その歴史的な意義を失ったわけではなく、ますます思想的な重要性を増しているといえる。今ほどマルクスを読む意義が高まっている時代はない」と言う。

 

 現実の歴史が教えたことは、マルクスの“夢”、それを実現するための“社会主義革命”“プロレタリアート独裁”という選択は、ボリシェヴィズム(赤色全体主義)に行き着くことである。今ほどジョージ・オーウェルの『動物農場』(Wikipedia:ある農場の動物たちが劣悪な農場主を追い出して理想的な共和国を築こうとするが、指導者の豚が独裁者と化し、恐怖政治へ変貌していく過程を描く)を読む意義が高まっている時代はない。