断章504

 祖国を貶(おとし)め民衆を軽(かろ)んずるネガティブ・キャンペーンをつづける者たちと戦い、〈救国救民〉の旗を高く掲げて、「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ!」(ガンジー)。

 わたしたちの国を守り前進させることは、わたしたちの使命であり、名誉である。

 もっと強く、もっと豊かで、もっと賢く、もっと助け合う日本を!

断章503

 「ロシアのプーチン大統領は最終的に核を使うのではないか。そんな懸念が高まっている。ウクライナの反攻にあって、占領地からの後退を余儀なくされているロシア軍。これに対して、プーチン大統領は12月7日、(引用者注:一方的に隣国を侵略したあげくに)『(核戦争の)脅威は増している』と言い出したからだ。

 プーチン大統領は『ロシアは、必要であれば、利用可能なあらゆる手段を用いて国益のための戦いを継続する』『我々は保有しているもので前進する。ロシア側からの答えは唯一つしかない。国益のために一貫して戦うということだ』とも語っている。

 一体、この戦争の結末はどうなるのか。プーチン大統領の思考回路はどうなっているのか。誰もが知りたいところだが、歴史家の保阪 正康氏は近著『歴史が暗転するとき』(日刊現代)で、興味深いアプローチと分析をしている。スターリンプーチン大統領の類似性、共通項を探ることで、今後を予測しているのである。

 保阪氏はまず、<スターリンが、ソ連社会主義体制を国際社会での多数派にしていこうという思惑を抱いたのと同様に、プーチンも『ロシアのない世界などは存在する理由がない』との信念の持ち主である点>が2人の共通項であると指摘。<プーチンスターリンの申し子のような存在>と断じている。そして、スターリンの目的に対して手段を選ばない行動に対して、<この国はしっかりとした検証、清算をしてこなかった>と歴史にきちんと向き合ってこなかった姿勢を批判。<プーチンの蛮行は、ロシアにおいて20世紀の総括すべき点が未清算だったことへの証しだと言ってもよいだろう>と書いている。

 そのうえで、さらに4点の共通項を挙げている。 1.自らの政治的責任は決して認めない 2.下僚の責任を問う形にして処刑する。 3.必ず周辺国を自国の防波堤に使う。 4.国民に忠誠と服従を求める。

 まさしく、ウクライナへの軍事侵攻後のプーチン大統領の言動に当てはまる。保阪氏は<プーチンはこの4点に基づいた行動をとってきたし、今後もそうするだろう>と予測。ますます強権的手法で破滅型の戦争に入っていくだろうとみている」(2022/12/12 日刊ゲンダイ)。

 

 保阪の言う、「歴史にきちんと向き合ってこなかった」のは、ロシア国民だけではない。

 日本国民も、またそうなのである。その結果、いまだにスターリン主義が産んだ日本共産党、その同伴者・同調者の「左翼」インテリが大手を振って闊歩(かっぽ)している。

 だから、わたしは、マルクス・レーニン主義あるいはスターリン主義を、その源(みなもと)であるマルクス主義を繰り返し問題にするのである。

 

 すぐる7月6日の『朝日新聞デジタル』は、「『第2次世界大戦終結の日』となっているロシアの記念日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日 9月3日』に改称する法案が、ロシア下院国防委員長によって下院に提出された」と、報じた。

 そして、佐藤 優のコメントを紹介している。

「扱いは小さいですが、今後の日ロ関係にとって大きな意味を持ちます。

 第2次世界大戦が終結した日付は国際法上、東京湾の米戦艦ミズーリ号上で日本政府が降伏文書に調印した1945年9月2日だ。しかし、当時のソ連は翌3日を『軍国主義日本に対する勝利の日』とした。佐藤さんは、そう紹介した上で、当時のソ連の意図を解説する。

 『戦争終結の日を戦勝国であるソ連が恣意(しい)的に決めることができるという意思表示です』

 佐藤さんは、当時のソ連の為政者スターリンが、9月2日にソ連国民にラジオでおこなった演説にも言及。演説でスターリンは1904年の日露戦争の敗戦を振り返り、『この敗北はわが国に汚点を印した。わが国民は、日本が粉砕され、汚点が一掃される日がくることを信じ、そして待っていた。40年間、われわれ古い世代のものはこの日を待っていた』と述べ、こう続けたという。

 『そして、ここにその日はおとずれた。きょう、日本は敗北を認め、無条件降伏文書に署名した。このことは、南樺太と千島列島がソ連邦にうつり、そして今後はこれがソ連邦を大洋から切りはなす手段、わが極東にたいする日本の攻撃基地としてではなくて、わがソ連邦を大洋と直接にむすびつける手段、日本の侵略からわが国を防衛する基地として役だつようになるということを意味している』。

 (佐藤は)日本の外務省の資料を引き、そんなスターリンの言葉を紹介した上で、今回のロシアの記念日改称の動きを、こう分析した。

 『ソ連崩壊後、ロシアが9月3日の〈軍国主義日本に対する勝利の日〉を軍の祝日から外したのは、スターリン主義から訣別(けつべつ)するという国家意思を示したかったからです。9月2日ならば、第2次世界大戦が終結したという史実に基づく客観的な記念日です。対して、一日遅れの3日だとスターリン歴史認識を追認するという意味になります。さらに〈軍国主義日本に対する〉という言葉を付け加えることで、対日関係におけるスターリン主義の正当化が決定的になりました』」。

 わたしたちは、こんなロシアが北海道の鼻先にいることを忘れてはならない。

断章502

 スターリン主義とは、「社会主義とは、『共産党』の指導下で、大企業を国有化し、農業を集団化し、近代化(工業化)した経済を“計画経済”で運営することだ」という特権的党官僚階級の、特権的党官僚階級による、特権的党官僚階級のための、悪質な“赤色全体主義イデオロギーであり、系譜的には、マルクス・レーニン主義の長男である。

 「旧・ソ連では、土地も建物もアパートも国有となり、勤める企業も団体も全て国営になってしまった。こういう状況でどうやって、『個人の尊厳』や『思想・表現の自由』を主張して共産党政権や、残虐なスターリン主義官僚体制を敵に回して戦うことができるだろうか。反抗すればすぐに職場をクビになりアパートから追い出され」(副島 隆彦)て、すべてを失うのだ。

 

 たとえば、コンスタンチン・サイミスは、次のような例をあげている(また長い引用になるが、具体的事実にソ連の真実を見よ)。

 「私が法律実務の関係でかかわりあった小さな地方都市でのことである。私は権力と法律との関係を反映する一つの物語を知る機会をもった。その小さな町では、党の地区党員会第一書記の娘と、下級官僚の息子が同じ学校に通っていた。2人は卒業して、結婚しようとした。

 ところが、第一書記、とりわけその妻が、そのような身分違いの結婚に断固として反対したのである。だが、娘はきつい性格で、両親の言うことを聞かなかった。そこで彼女の父親は、自分の法律感覚に従って公然たる行動に出た。彼はZAGS(ソ連の法務局で、結婚登録の権限を持つ唯一の機関)の地方支局長を呼び出し、彼の娘と、問題の下級官僚 ―― 郵便局長の息子の結婚を登録することを禁じた。若いカップルはどうすることができただろう。その地区を出て、よそで彼らの結婚を登録しただろうか? そんなことは不可能だった。ソ連では、2人のうち少なくとも1人が、結婚を登録する地区の住民でなければなならないのだ。

 では、このような正当な権利の臆面もない侵害について、彼らは不服を申し立てるべきだろうか? 彼らは実際に地方当局に不服申し立てをした。しかし、ZAGS責任者の違法な措置に関する彼らの不服申し立ての件は、ソ連で幅をきかす不文律によって、党の地区委員会、つまり花嫁の父親のところに移管されたのである。

 こうして結婚を登録できなかったカップルは、同棲することにし、青年の母親のところに移った。そこでも、彼らは第一書記の権力に追及された。青年の母親は職を追われた(またしても労働法のすべての規定の侵犯である)。その上、母親は郵便局の建物の中の小さな2部屋のアパートを追い立てられた。郵便局長が使うことになったという理由だった。

 若いカップルは、どうしようもない状況に置かれた。彼らは自分たちの町で住むところがなくなった。彼らは娘の父親が権力を振っている地区の外へ出ることもできなかった。彼らはよその町で落ち着くための金も、特別の職ももっていなかったからだ。こうして、まだ結婚していないカップルは、お手上げになった。娘は両親のもとに帰り、青年の母親は新しい職に就いて息子とともに町の外へ去った」(『権力と腐敗』)。

 日本共産党は、こんな旧・ソ連を“労働者の楽園”と絶賛していたのである。

断章501

 「“資本主義”とは、搾取と収奪、抑圧と差別、格差と疎外の社会であり、“社会主義”とは、友愛に満ち、公正で、人間の尊厳を守る社会である」と、「左翼」インテリは宣伝する。

 「左翼」インテリは、おおむね、選挙にさいして「日本共産党に期待します」と発言する、日本共産党の同伴者・同調者である。たとえば、思想家・内田 樹は、「100年スパンで物を考えられる政治勢力は、日本では日本共産党以外に存在しない」と、大甘な評価である。

 

 そこで、日本共産党の過去にタイムスリップして、日本共産党が、「100年スパンで物を考える」政党であるのか、マルクス・レーニン主義科学的社会主義)のドグマに囚われた政党であるのかを見てみよう。

 まず、61年前の、日本共産党1961年綱領(第8回大会)から一部を引用する。

 「日本人民の真の自由と幸福は、社会主義の建設をつうじてのみ実現される。資本主義制度にもとづくいっさいの搾取からの解放、貧しさからの最後的な解放を保障するものは、労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立、生産手段の社会化、生産力のゆたかな発展をもたらす社会主義的な計画経済である。党は、社会主義建設の方向を支持するすべての党派や人びとと協力し、勤労農民および都市勤労市民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ納得をつうじて、かれらを社会主義社会へみちびくように努力する」。

 

 旧・ソ連の崩壊後、今や日本共産党は、選挙(集票)対策上、こうした“一般受け”しない過去の「党文献」をまるで無かった物のように扱っている。しかし、日本共産党は、まだ権力を握っていないので、中国共産党のように過去を都合よく隠蔽することはできない。「天知る、地知る、我知る、人知る」なのである。

 日本共産党は、「61年前の古証文にすぎない」と言うかもしれない。

 だとすれば、わたしは問う。「党綱領とは、そんなに軽いものなのか?」、「君たちは、なぜ、いまだに共産党と名乗っているのか?」と。

 

 61年前、日本共産党は、旧・ソ連を“社会主義”であるとプロパガンダしていた。「進歩的知識人」たちも、「そうだ、社会主義はすばらしい」とオウム返しで応じた。

 その頃のソ連について、コンスタンチン・サイミスは、『権力と腐敗』でこう述べている。

 「ソ連社会は頂上から底辺まで、腐敗に蝕まれている。割りのよい仕事を回してもらおうと、ウォッカの瓶を職長に送る労働者から、地下ビジネスマンをかばって、数十万ルーブルを受け取っていた政治局員候補ムジャヴァドナゼに至るまで、客引きを見逃してもらうべく警官に10ルーブルをつかませる街娼から、国家の費用で豪勢な別荘を建てた元政治局員、文化大臣のエカチェリーナ・フルツェワまで ―― みんな汚職に染まっている。

 私はこの国に生まれ、およそ60年間生活した。子供のころから、物心ついて以来の全生涯を通じて、私はソ連社会が年を追って腐敗の度を深め、1960~70年代に至って、腐敗した指導者が腐敗した人民を支配する国になってしまったのを、この目で見た。ソ連ではいまや、汚職、腐敗は全国民的な現象になっている。(中略)

 …ソビエト人は、一切れの肉のために商店の売り子に10ルーブルを与える。電話を取り付けてもらうために通信省の職員に300ルーブルを、また国営アパートを手に入れるべく地区執行委員会の幹部に3,000ルーブルを贈るのである。

 もし、これらの贈賄をしなければ、彼の家族は肉を買えないし、電話の取り付けに五、六年も待たねばならず、大家族が小さな市営アパートの1室で、何年も我慢しなければならないことになる。(中略)

 たとえ支配階級のエリートが、汚職に対して断固たる闘争を挑んだとしても、その試みは失敗を運命づけられている。ソ連のありふれた汚職の根底には、国家を一手に統治している共産党の、全体主義的な支配方式が横たわっているからである。

 その権力は、法律によっても自由な新聞によってもチェックされない。そして、制限されない権力はその本性として、不可避的に、権力者を腐敗させ、腐敗、汚職の現象を次々に生み出すのだ」。

 この『権力と腐敗』では、“社会主義的な計画経済”なるものの真実 ―― たとえば、現実にはまったく稼働していないプラントがフル稼働していることにされていた ―― が、暴露されている。

 日本共産党は、こんな旧・ソ連を“社会主義国家”であると称賛していたのである。

断章500

 「ブルジョワジーは、かれらの100年たらずの階級支配のあいだに、過去のすべての時代をあわせたよりも、大量で巨大な生産諸力をつくりだした。自然諸力の征服、機械装置、工業と農耕への化学の応用、汽船、鉄道、電信、世界全土の耕作、河川の可航化、全部が地中からわきでた住民 ―― 過去のどの世紀が、このような生産諸力が社会的労働の胎内にねむっていると、予想したであろうか」(『共産党宣言』、1848)。

 「ブルジョワジーは、すべての生産用具の急速な改良によって、限りなく容易になった通信によって、あらゆる国民を、もっとも野蛮な諸国民をも、文明にひきいれる」(同上)。

 

 たとえば、「空調機器ダイキン工業でインド・東アフリカ地域の責任者を務めるカンワルジート・ジャワ常務専任役員はロイターとのインタビューで、アフリカのナイジェリアで空調機の組み立てをまもなく始めると語った。新型コロナウイルスの感染拡大により遅れていたアフリカ市場の事業強化を再開させる。(中略)

 アフリカ市場については『気候をはじめ、インフラや生活に対する価値観など、インドとの共通点が多い。欧州(で販売する場合)と比較して競争優位性がある』と述べ、自身が主導したインドでの成功例を同地域でも再現し、先行する韓国、中国企業などに対し巻き返しを図るとしている。同社は2025年までにケニアタンザニアモーリシャスなどの東アフリカ地域ではトップシェア獲得を目指している。

 ダイキンのインド事業の売上高は過去10年間で約10倍に拡大、2025年には2021年対比で2倍の約1,000億インドルピー(1700億円)を見込む。『今後も爆発的な需要が見込まれる』(ジャワ氏)といい、2023年にはインド南部に国内で3拠点目となる工場を稼働させる」(2022/09/30 ロイター通信)。

 

 人類史上もっともパワフルな経済エンジンは、資本システム(資本制生産様式)である。ただし、この資本システムは、過酷な競争システムである。競争に負ければ、淘汰される。

 「国家は、成熟するにつれて、新たな法律が追加され、諸規制が増え、制度は複雑化していき、既得権益集団が力を振るうので、動きが鈍くなっていく。そして、野望を持ち小回りを利かせた新興勢力に負けていく」(『劣化国家』)。競争に負ければ、有名企業も学校秀才も淘汰される。

 

 ところで、わたしたち人間(ヒト)は、容姿・気力・体力・知能、すべてが百人百様、千差万別である。そこにはある一定の割合で、生まれつき困難を抱えている人々がいる。

 「通常学級に通う公立小中学校の児童生徒の8・8%に発達障害の可能性があることが13日、文部科学省の調査で明らかになった。10年前の前回調査から2・3ポイント上昇し、35人学級なら1クラスに約3人が読み書き計算や対人関係などに困難があるとみられる。このうち約7割が各学校で『特別な教育的支援が必要』と判断されていなかった。文科省は『特別支援教育の知識がある教員が少なく、適切な支援ができていない可能性がある』としている。(中略)

 発達障害では先天的な脳の働き方の違いにより、幼い頃から行動や情緒に特徴が表れる。読み書きや計算、推論などを苦手とする学習障害(LD)▽不注意や多動・多弁、衝動的な行動がある注意欠陥多動性障害ADHD)▽対人関係が苦手で特定の事柄へのこだわりが強い高機能自閉症 ―― などを含む。学校で周囲の適切なサポートがないと、不登校やいじめにつながる恐れがある」(2022/12/13 毎日新聞)。不登校やいじめの結果は、どうなるのだろうか?

 

 「ルポライター鈴木大介は、東京などの都市部に暮らす20代の女性のなかに極度の貧困が広がっていると警鐘を鳴らし、彼女たちを『最貧困女子』と名づけた。

 最貧困女子の多くは地方出身で、さまざまな事情で家族や友人と切り離され、都会で孤独に暮らしている。多くの最貧困女子を取材した鈴木は、そこには『3つの障害』があるという。それは精神障害発達障害、知的障害だ。これは現代社会の最大のタブーの一つで、それを真正面から指摘したことは高く評価されるべきだろう。(中略)

 日本においても、知能の格差が経済格差として現れているのだ」(橘 玲)。

 

 かかる現実に対する解決策は、陰鬱な貧困の「脱成長コミュニズム」ではないし、資本主義からの“撤退”(どこへ?)でもない。

 この世界(=社会)の資源配分の最適化にかかわる途方もなく複雑な問題を解くことができるのは、官僚指令の計画経済ではなくて、過酷な競争の〈市場〉だからである。

 解決策は、「競争による効率性の改善を重視するが、競争に敗れても再挑戦できる社会であり、再挑戦できるだけの力が不足している人たちには、公的な支援制度を整備した社会」(岩田 規久男)にすることである。

断章499

 普通の人(たとえば、凡愚なわたし)がそれなりにおだやかに暮らしていける社会。普通の人(凡愚なわたしたち)がくり返し夢に挑戦できる社会。より多くの人々が成功・繁栄・尊厳・幸福を手にする可能性の大きな社会。公明正大で慈悲深い社会。

 かかる社会の出現は、ほぼ奇跡である ―― ある時代、ある地域に、近似的に出現しても、嫉妬する近隣他勢力にかならず侵略される。さらに、このような社会が出現しても、落ちこぼれる者は存在するだろう。

 たとえば、「1899年に、シーボーム・ラウントリーは労働者階級の全世帯調査を実施して、およそ約3割が貧困線以下であること、貧困には2種類 ―― 心身を維持するのに必要な最低限の収入に不足する第一次貧困と、その収入は得ているものの飲酒や賭博などで浪費する第二次貧困 ―― があることを発見した。もし、人がみな合理的なら、収入の一部を支払って共済組合に加入して、将来の貧困の危険を防止するはずが、実際には、それだけの収入がありながら、共済組合に加入せず(あるいは加入しても飲酒や賭け事で組合費を滞納して除名され)、集団的自助からこぼれ落ちてしまう者が無視できないほどに多いことを発見した」。飲酒や賭博や趣味で浪費する、これもまた、“現実的諸個人”である。

 こうした“現実的諸個人”が構成する社会(=世界)を「完全に解明しつくした。この社会の真理をつかんだ」と豪語するのが、マルクス主義である。レーニンは、さらに、「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」とまで言った。

 

 真理をつかんだと思った人間は、それを知らない人々は遅れているのであり、真理を知らせ、啓蒙してやらなければならないと思う。マルクス主義者や自称「知識人」リベラルが、やたら「上目線なお説教」をするのは、そのせいである。

 真理をつかんだと思った人間たちが権力を握れば、真理をつかんでいない人たちに言うことを聞かせる義務が生じる。公認イデオロギーで“洗脳”する。それでもダメなら、ギロチンにかける、銃殺する、強制収容所に入れる義務が生じる。真理を理解しない者は、進歩に反する、人類の幸せに反する、国家社会に害をなす「人民の敵」である。

 真理をつかんでいると思う人間たちの権力は、いかに破壊的なことでもできる。それは、国家の安全、社会の発展、同胞の幸せのためであるとプロパガンダされる(※この段落は、上田 惇生のドラッカー紹介を援引)。

断章498

 「旧・ソ連邦スターリン政権下で秘密警察として機能したNKVD(内務人民委員部)とその後継組織に当たるKGB(国家保安委員会)は、国外で暮らすロシア人に約70年にわたって目を光らせていた。在外ロシア人が体制に脅威をもたらす可能性を恐れたためである。

 その伝統はプーチン大統領の治安機関FSB(連邦保安庁)にも受け継がれている。FSBが少し前に発表した推計によると、今年1~3月にロシアを離れた国民はほぼ400万人に達した。少なくとも全人口の2%が国を去った計算となる。

 FSBがこうしたデータを集めているのは、もちろん暇潰(ひまつぶ)しのためではない。1917年の十月革命から1991年のソ連崩壊までの期間を通じて、ロシア人ディアスポラ(在外居住民)は『労働者の楽園』を喧伝する当局にとって目の上のたんこぶのような存在であり続けてきた。ロシア国民の流出は1905年の第1次革命が失敗に終わった頃から始まっていたが、その数は1917年にボリシェビキが権力を掌握すると急増。『リトルモスクワ』が欧州の各地に生まれた」(ケント・ハリントン)。

 旧・ソ連や現「北朝鮮」は、国民の海外渡航をバリバリ厳しく統制した(する)。なぜなら、たとえその国が“社会主義”「労働者の楽園」を自称していようとも、競争がなく悪平等主義で経済が成長しないから弱者がよりいっそう貧しくなり自由もない国から逃れようとする者が、引きも切らないからである。

 

 マルクス・レーニン主義とは、「1917年10月のロシア革命は、職業革命家によって構成される軍隊的規律の『前衛党』が指導して社会主義革命として勝利した。『前衛党』があれば、マルクス主義ユートピア(=コミュニズム)を実現できる」という理論である ―― マルクス・レーニン主義という呼称は、今や時代と国に合わせて(俗耳に適うように)、「科学的社会主義」とか「革命的マルクス主義」とか「主体思想」とか「脱成長コミュニズム」に変更されている(ただし、名乗りを変えても、本質は同じである)。

 結局のところ、それは、特権的党官僚階級の、特権的党官僚階級による、特権的党官僚階級のための偽善的で悪質な支配を維持するために、マルクス主義というユートピア思想で社会を染め上げ、「近代的所有権(個人財産の不可侵)」を否定する“赤色全体主義”に落ち着くのである。