断章556

 日経平均株価の過去最高値は、1989年12月29日の38,915円87銭。過去最安値は、2009年3月10日の7,054円98銭である。ここ最近、日経平均株価は大幅に上昇し、終値で3万3000円台を付け、バブル崩壊後の最高値を更新している。異次元金融緩和の管理相場とはいえ、驚きである。

 わたしは、時に、SBGの株価を見る。なぜなら、型破りなSBGの孫 正義会長兼社長に注目しているからである。

 ソフトバンクグループ(以下、SBG)の株価も足並みをそろえ、今年3月16日の4,766円から、この6月21日には6,964円まで急速に値を上げた。

 先日のSBG株主総会では、「株主から、『傘下のビジョン・ファンドでの2023年3月期の約5兆3,000億円の損失の責任をどう考えるか』との質問が出た。

 孫氏は『厳しい質問ですね。2兆、3兆上がったり下がったりは誤差のうちだ』と述べた。そして自ら『不謹慎ですね』と前置きしながらも、『株主の皆さんを前にそういう不謹慎なことを言ってはいけないが、本音でございますので、正直に申し上げました』と言ってのけた。回答はこれだけで、すぐ『次の質問を』と促した」(毎日新聞)という。

 孫 正義氏のファンであれば、大物ぶりを感じる発言かもしれない。だが、わたしは不穏な気配を感じる。経営者というよりは、捨て鉢なバクチ打ちの匂いがする。

 

 片や、アメリカのウォーレン・バフェットは、(ブルームバーグがまとめたデータによれば)日本の商社株への投資で2020年以降に推計で45億ドル(約6,000億円)を稼いだ。2020年8月当時の投資額は約61億ドルと見積もられる。昨年11月にも約24億ドルを追加投資した。この価値は現在合わせて130億ドルほどになっているそうである。バフェットは、着実に稼いでいる。

 

【参考】

 「ソフトバンクグループ(以下、SBG)の孫 正義会長兼社長が、AI(人工知能)に大攻勢を賭けようとしている。こうしたことは2度目だ。孫氏は2018年時点で既に、投資家向け説明会の冒頭にAIの将来について興奮気味に『予言』した。

 しかし、その後に孫氏が手当たり次第に投資してきた経緯を考えれば、AIで『反転攻勢』をかけるという今回の方針転換を、投資家は大幅に割り引いて受け止める必要がありそうだ。

 2016年に英半導体設計企業アームを買収したことは、孫氏がAI分野の勝ち組企業を見定める目を持っていることを証明した。だが、それ以上の意味はない。3月時点で、SBGの株式ポートフォリオ15兆9,000億円に占めるアームの割合は18%にとどまっている。

 もう1つの主要投資先だった米半導体企業エヌビディアも、AI分野の星と言ってよいだろう。しかし、残念ながら孫氏は2019年に同社株の大半を売却しており、現在は500億ドル相当しか保有していない。

 孫氏が言う通り、SBGが500社を超えるAI関連企業に投資しているのは事実だ。だが、大半は消費者向け事業を手がけるスタートアップ企業で、事業戦略を加速させるためにAIを利用しているに過ぎない。これらの企業は自社の貴重なデータを使ってAIモデルを訓練し、生産性の向上やより正確な需要把握につなげることができるかもしれない。しかし、同じことを行っている企業は世界に何千社もある。

 AI技術はまだ黎明期にあるため、孫氏がこの分野の勝ち組企業に投資できる時間は残されている。しかも、SBGには理論上、350億ドルもの手元資金がある。もっとも、同社が多額の債務を抱えていることを考えると、実態は違う。3月時点の純債務は1兆5,000億円で、ポートフォリオ価値の11%に相当する。同社はこの比率を25%以下に抑えたい意向であるため、Breakingviewsの計算では、実際に使える手元資金は140億ドルにとどまる。

 最も修復が難しいのは、失われつつある孫氏の信頼性だ。孫氏は対話型AI『チャットGPT』を開発したオープンAIには投資せず、数十億ドルの資金をAIの最先端技術とは無縁の企業にばらまいてきた。その筆頭が米シェアオフィス大手のウィーワークで、同社の場合は人工知能どころか人間の知能もおぼつかないことが判明した。孫氏の主力ファンド、ビジョン・ファンドは、創設以来の内部収益率が4%と悲惨だ。

 もちろん、ビジョン・ファンドには含み損益を実現するまでになお8年の猶予がある。また、サウジアラビアの政府系ファンドなどの『リミテッド・パートナー』に対しては、もっと高いリターンを提供してきた。

 しかし、ファンドが直面してきた数々の重圧は、孫氏を『実存的危機』に追いやるのに十分だった。孫氏自身が6月21日の年次株主総会で、昨年は企業家としての手腕が疑問視され、数日間涙が止まらなかったと認めている。従って孫氏に資金を託している投資家は、今後数年間は大幅な状況改善が見込めないと覚悟すべきだろう」(2023/06/23 ロイター通信)。

断章555

 「『何をなすべきか?』(レーニン)は、20世紀の政治的古典である。

 『何をなすべきか?』については、地下政党を運営していく技術を詳しく実際的に書いた青写真を提出したものという大きな誤解がある」と、ロバート・サーヴィスは言った。

 『何をなすべきか?』の核心は、ぶっちゃけ、「日和(ひよ)ってる奴いる?」、「いねえよなぁ!!?」と、ロシア・アベンジャーズに向けて〈檄を飛ばしている〉ものなのだ。

 

 「『何をなすべきか?』での「レーニンの文章のいくつかは(ロシア国内の活動家にとって)特に魅力的であった。例えば彼は言う、『われわれに革命家の組織を与えよ、さすれば全ロシアを転覆させてみせよう』。

 このような調子でどんどん彼は論じていった。そして仲間の活動家たちを元気づけ、その気にさせていた。彼らがどのような困難を体験していようとも、自分は彼らのことを理解しているということをわからせていった。しかも彼は、彼らが素晴らしい結果を生み出すことを期待していた。『奇蹟』はロシア・マルクス主義者の手の届くところにあるのだと、彼は明言した。合理性が行きすぎるのはよいことではない、『われわれは夢をもたねばならない』と。

 このようないわば〈折伏の言葉〉を、彼以前にはロシア帝国マルクス主義者の誰も語ったことがなかった。それは、名文家として知られた人の言葉ではない。彼の文章は決して流麗なものになることはなかった。しかし、そんなことは彼にとっても支持者にとっても重要なことではなかった。彼のゴツゴツした文法と構文が、活動家たちにレーニンを身近に感じさせた。彼らには、当たりさわりの多い彼のレトリックは、必要かつ実際的な戦闘性の現れであった。美しい言葉や優雅な議論は、ロマノフ王朝を転覆させるのに最重要の要件ではなかった。

 レーニンと彼の支持者は、政策をしっかりした知的土台の上にすえたいと思っていた。しかし、彼らに知性が重要であったとしても、行動 ―― 非妥協的な革命行動 ―― もまた同じように重要であった。そしてレーニンの粗けずりの言葉遣いは、彼らに訴えかける力を持っていたのである。

 彼が民主的手続きを『有害なおもちゃ』と呼んだとしても、とりたてて問題にすべきことではない。彼はロシア帝国の地下の政治組織で活動し、自分が何をしようとしているかを知っていたのだ。彼の論争的な態度が、彼のもっと穏健な論敵の議論を不当に歪めるものであったとしても、それがどうだというのか。レーニンは、彼ら(活動家たち)のイデオロギー、宣伝活動、そして何よりも彼らの希望と不安に触れた。他の指導的マルクス主義者がまだ言及することのなかったものに言及できたのである。

 レーニンは地下の党を望んだ。オフラーナ(引用者注:専制の秘密警察)の追及を避けようとすれば、それ以外の道がありえたであろうか。彼は規律のある中央集権化した党を望んだ。それ以外に、ロマノフ王朝のロシアでどんな政党にしろ生き延びることができたであろうか。彼は、基本的なイデオロギーと戦略について統一した党を望んだ。その当時登場しつつあった他の政党から自党を区別しなければならないとすれば、それ以外の道がありえたであろうか。

 彼は、政治における重要な義務は先頭に立って進むことであると主張することによって、ロシア帝国内で活動している多くのマルクス主義者たちが感じているもっと深い必要性に応えていた。党中央の指導者は各地のグループを指導しなければならない。地方のグループは労働者階級を指導しなければならない。労働者階級は、帝政社会のその他の不満をもっている抑圧された人々のグループを指導しなければならない。これがすべて達成されたなら、ロマノフ王朝はもう救いようがないであろう。

 彼に敵対的でない読者にとっては、この小冊子の壮大さはいわば彼の指導力に対する讃歌であった」(ロバート・サーヴィス『レーニン』から抜粋再構成)。

 

【参考】

“リベンジ”は個人的感情のもとに復讐するというニュアンス。“アベンジ”は正義のもとに復讐する、制裁するというニュアンス。

断章554

 プーチンの私兵とみなされていたロシア民間軍事会社ワグネル(プリゴジン)は、飼い主の手を噛んだ。

 結果は、今のところ、大山鳴動するも噴火せずプッスンと一発、に終わったようである。

 「ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏は24日、流血の事態を避けるためモスクワに向け進軍していたワグネル部隊に引き揚げを命じた。ワグネル部隊は南部のロストフナドヌーに進軍、市内のロシア軍拠点を占拠したとし、これに対しプーチン大統領は『武装蜂起』は鎮圧するとしていた。

 ベラルーシのルカシェンコ大統領がプーチン大統領の了承の下でプリゴジン氏と協議し、事態の鎮静化で合意した。同氏がベラルーシに移動することも決まったという。

 プリゴジン氏は広報を通じ、『ワグネル部隊の解体が求められたので、23日に正義を求めて進軍した。24時間でモスクワから200キロ圏内まで到達したが、流血の事態はなかった』とした上で、『流血の事態になろうとしている。この責任を理解し部隊を野営地に戻す』と述べた。ロシア大統領府のペスコフ報道官は、武装蜂起を呼びかけたプリゴジン氏に対する犯罪容疑を取り下げると明らかにした。同氏とワグネル戦闘員の安全を保証する以外に何らかの譲歩をしたかについては言及を避けた」(2023/06/25 ロイター通信)。

 

 “プリゴジンの乱”を理解するカギは、バフムトの激戦にありそうである。

 「『日本の一部メディアは、バフムトが“抗戦の象徴的存在”であるため、ウクライナは引くに引けないとも報じましたが、それはバフムトの戦略的価値を過小評価した分析です。バフムトはキーフとクリミア半島を結ぶ交通の要衝であり、ウクライナ軍にとってもロシア軍にとっても絶対に確保したい重要地点です。だからこそ血で血を洗う激戦が繰り広げられているのです』(同・記者)。

 ロシア軍がウクライナ東部のバフムトへの攻勢を強めたのは2022年の5月頃。攻撃の主体は民間軍事会社(PMC)のワグネルだった。・・・『ワグネルは刑務所での“リクルート”を許可され、囚人を兵士にするという奇策に打って出ました。バフムトの戦いで無謀な前進を命じられた囚人兵は、それに従ったためウクライナ軍の砲撃で多数が戦死。ワグネルはその犠牲を利用して敵の砲兵部隊の位置を割り出し、反撃の砲撃を行うという非人道的な作戦を実行したのです』(同・記者)。

 たとえば、要衝バフムト近郊ソレダル周辺の工場への攻撃に参加した人物は、CNNの取材に対して、攻撃参加者約130人のうち生還したのは約40人だったという。

 恐るべき戦死率であり、これにはワグネルも悲鳴を上げた。時事通信は3月6日、『ワグネル、武器を要求=〈前線崩壊〉警告、不協和音 ―― ウクライナ』の記事を配信した。『ワグネルのプリゴジン氏がロシア軍に対して、武器が不足していると強い不満を表明したのです。《ワグネルが今、バフムトから退却したら全ての前線が崩壊する》という脅しのような言葉もありました。プーチン大統領に対する“点数稼ぎ”を露骨に行うワグネルを、ロシア正規軍の幹部は苦々しく思っていました。ワグネルとロシア軍の不協和音は、バフムトの激戦で表面化したのです』(同・記者)」(2023/03/29 デイリー新潮編集部記事を再構成)。

 

 ワグネルと同じくロシアの正規軍も動員兵を消耗品として扱い、多大な犠牲を出しながら攻撃を続行する“出血作戦”を進めた。

 たとえば、「ロシア軍指揮部はウクライナ戦線に投じた兵士たちが後退できないように旧ソ連式“督戦隊”を運用しているという暴露が出てきた。味方を即決処刑までして後退を防ぐ督戦隊は前近代時期の戦争に主に使われ、ナチス・ドイツ旧ソ連などは第2次大戦にもこのような部隊を運営して悪名を轟かせていたことがある。27日(現地時間)、英日刊紙ガーディアンなどによると、24日付け、ロシアのテレグラムチャネルにはロシア軍強襲部隊の生存者だと主張する軍服姿の男性20人余りが登場する映像がシェアされた。ロシアのプーチン大統領に送るメッセージというこの映像に登場する兵士アレクサンドル・ゴリン氏は『我々は14日間、迫撃砲と野砲砲火を浴びながら座っていた。(全体161人中)指揮官を含めて22人が死んで34人が負傷した』と話した。

 これについてこの部隊は後退を決心したが上部はこれを許可しなかったという。ゴリン氏は『彼らは我々の後方に督戦隊を配置して位置から離脱できないようにした』とし、『彼らは我々を一人ずつあるいは部隊ごと処分すると脅した。彼らは犯罪的な指揮怠慢の証人として我々を処刑したいと思っていた』と主張した。強襲部隊の生存者はまた、指揮官にお金を上納しなければ最前線に送られたと吐露した」(2023/03/29 韓国紙・中央日報)。

 

 正規軍と民間軍事会社の不協和音、いたずらに死傷者を増やすだけの稚拙な作戦が重なれば、憤懣・不満は膨れ上がる。ガス抜きが必要だった。プッスンとガスが出た。

 今後さしあたり、プリゴジンとワグネル戦闘員の安全が保証されたとしても、ワグネル戦闘員には、なお憤懣・不満が残るだろう。では、ロシア正規軍は、どうだろうか?

断章553

 事態は、急展開中である。

 ワグネルの総帥、エフゲニー・プリゴジンは、「安心してください、正義の行進ですよ!」(とにかく明るい安村風に)と言った。

 「ワグネルの部隊は24日未明、ウクライナから国境を越えてロシア南西部ロストフ・ナ・ドヌに入った。プリゴジン氏が同市内のロシア軍南部軍管区司令部に入る映像が拡散している。動画の中でプリゴジン氏は、ワグネル部隊がロストフを封鎖し『すべての軍事施設を掌握』したと宣言。セルゲイ・ショイグ国防相ヴァレリー・ゲラシモフ総司令官が会いに来ない限り、このまま首都モスクワへ進軍すると述べている。

 BBCは、武装した兵がロストフ・ナ・ドヌでロシア軍南部軍管区司令部の庁舎を取り囲む映像は、本物だと確認した。

 イギリス国防省は、一部のワグネル部隊が『ヴォロネジ州から北へ移動しており、首都モスクワを目指しているのはほぼ確実』との見方を示している。同州の州都ヴォロネジは、ロストフ・ナ・ドヌとモスクワの中間地点にあたる。(中略)

 BBCロシア語の取材に対して消息筋は、ワグネルの部隊がヴォロネジでも軍事施設を制圧したと話した。ただし、ヴォロネジ市当局の発表はなく、ヴォロネジ州のアレクサンドル・グセフ州知事は、さまざまな偽の情報が飛び交っていると警告している。

 プーチン大統領は同日午前、モスクワで緊急テレビ演説を行い、ワグネルによる行動は国民への裏切りだとして、ロストフ・ナ・ドヌで『情勢安定化のため断固たる対応』をとると強調。『内部からの反乱はこの国を脅かす恐ろしい脅威だ。この国と国民を攻撃するものだ。そのような脅威から祖国を守るため、我々は厳しい行動をとる』と述べた。

 同時にプーチン氏は、正規のロシア軍と共にウクライナで戦ってきたワグネルの雇い兵たちを『英雄』としてたたえた。

 大統領は、プリゴジン氏は名指ししなかったものの、その演説は同氏への直接的な警告と受け止められている。

 プーチン氏は演説で、『国が第1次世界大戦のさなかにあった1917年』に言及し、当時は流血の内戦で『ロシア人がロシア人を殺した』ためにロシアの勝利が奪われ、外国が利益を得たのだと主張。

 『武装蜂起を計画し、戦場での同胞に武器を向けた者は、ロシアを裏切った。その代償を払うことになる』とした。さらに『この犯罪に引きずり込まれた者』は、『犯罪行為への参加をやめる』よう呼びかけた。

 これに対し、かねてロシア軍幹部を公然と非難していたワグネル創設者・プリゴジンの声に酷似した音声投稿は、『母国への裏切りについて、大統領は非常に間違っている』、『我々は母国の愛国者だ。我々は戦ってきたし、今も戦っている』と主張。

 『そして誰も、FSBロシア連邦保安庁)も、ほかの誰も、大統領が要求したように、我々に罪があると認めたりはしない』、『なぜなら我々は自分たちの国がこれ以上、汚職とうそと官僚主義の中で生きてほしくないからだ』と続けた。

 プリゴジンはこれに先立ち、メッセージアプリ『テレグラム』に、『自分たちは全員、死ぬ覚悟だ。2万5000人が全員。そしてその後にはさらに2万5000人が』と述べる音声を投稿した。プリゴジンはさらに、プーチン大統領の演説とは裏腹に、自分たちの行動は『ロシア国民のため』なのだと述べた。

 ロシア第二の都市でプーチン氏の地元でもある西部のサンクトペテルブルクでは、市内のワグネル事務所を警察や国家親衛隊が強襲したという地元情報もある。プリゴジン氏が関係するホテルやレストランの近くでは、『覆面をかぶり自動小銃を持った』人物たちが配備されたと、現地メディアは伝えている。(中略)

 かつて米国防次官補代理で中央情報局(CIA)捜査員だったミック・マルロイ氏はBBCに対して、プリゴジン氏はプーチン大統領にとって深刻な課題を突き付けていると指摘した。

 『ロシアのウクライナ侵攻は戦略的に壊滅的で、それをなんとかしようとするのにロシアが私兵組織に頼らなくてはならなかったということ自体、相当なこと。しかし今やプリゴジン氏は、そもそもロシアへの挑発など何もなく、ロシア国民は最初からうそをつかれていたのだと公然と認めている。これはかなりのことだ』と、マルロイ氏は話した」(2023/06/24 BBCニュースを再構成)。

 

 別の報道は、こう伝えた。

 「ロシアの民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏は、6月23日、ロシアがウクライナに対し“特別軍事作戦”を始めた理由について、『ウクライナ北大西洋条約機構NATO)とともに攻めてくるというストーリーを国防省がでっち上げ、国民や大統領をあざむいた』と主張した。

 ウクライナでの戦争を巡り、プリゴジン氏は軍や国防省を繰り返し批判してきているが、ロシアの“特別軍事作戦”をウクライナの“非武装化、非ナチ化”が目標という政権の説明を今回初めて否定した。

 さらに『戦争はショイグ国防相が元帥に昇格するために必要だった。ウクライナを非武装化し、非ナチ化するためには必要ではなかった』と強調。エリート層の利益のためにも戦争は必要だったという見方も示した。

 また、ロシアは侵攻に踏み切る前にウクライナのゼレンスキー大統領と協定を締結できたはずだったほか、戦争ではロシアで最も有能とされる部隊を含む何万人もの若い命が不必要に犠牲になったとし、『われわれは自らの血を浴びている。時間は過ぎ去っていくばかりだ』と述べた。

 具体的な説明はなかったものの、ロシア軍が自軍の戦闘機を破壊したとも非難。ロシア軍指導部の《悪》を『止めなければならない』とし、『数万人ものロシア軍兵士の命を奪った者たちには罰が課される』とした。

 プリゴジン氏はロシア軍に対する行動の呼びかけは『軍事クーデターではなく、正義のための行進だ。われわれの行動は決して軍隊の邪魔をするものではない』と主張。ショイグ国防相がワグネルの兵士の遺体2,000体をロシア南部の死体安置所に隠すよう命じたとも非難した」(2023/06/23 ロイター通信)。

 プリゴジンは、つい先日のインタビューでは、『貧しい家庭の息子たちが前線で次々に死んでいく中、エリートの子弟は戦争を避けようと海外で優雅に過ごしている』、『戦死した兵士の何万もの親族の悲しみが沸点に達した時、民衆はすべてが不公平だと言うだろう』と述べた。

 5月の(SNSへの)投稿では、『エリートが本気でウクライナ戦争に取り組まなければ、1917年と同様の革命が起き、戦争に敗れる可能性がある』と警告した。

 (ロシア)富裕層と一般庶民の所得格差が天文学的に広がる中、“階級闘争”に言及した発言の衝撃度は大きい」(2023/06/24 毎日新聞)。

断章552

 「わだは革命家になる」(棟方 志功風に)と、レーニンは決意した。ツァーリ専制権力の打倒を誓う“鬼”になった。

 レーニンは、19世紀末のロシア帝国という歴史的社会的文脈のなかで、マルクス主義を“革命の理論”としてつかみとる。

 レーニンは、おのれの軌跡と重ね合わせるかのように、「唯一の正しい革命理論としてのマルクス主義は、ロシアが、前代未聞の苦悩と犠牲、かつて見たこともない革命的英雄主義、想像も及ばないエネルギー、探求のひたむきさ、教育、実践での体験、幻滅、失望、点検、ヨーロッパでの経験との対比の半世紀の歴史で、文字通り苦しんだすえに手に入れたものだ」と書いている。

 “鬼”は、“虎の皮のパンツ”を手に入れたのである。「鬼のパンツは いいパンツ つよいぞ つよいぞ♪」(『鬼のパンツ』)なのである。

 しかしレーニンが、大文字のレーニンになるためには(最強の鬼になるためには)、まだ足りないものがあった。“金棒”である。

 

 レーニンは、1901年5月、『なにからはじめるべきか?』に、「〈なにをなすべきか?〉という問題は、近年とくに力づよくロシアの社会民主主義者(引用者注:マルクス主義者)のまえに提出されている。このばあい問題になっているのは、(80年代の終わりと90年代の初めにそうであったように)どの道をえらぶかということではなく(引用者注:すでに道はマルクス主義と決まったから)、一定の道に沿ってわれわれはどういう実践的な歩みを、またまさにどのようにすすめるべきか、ということである。問題になっているのは実践活動の方法と計画のことである」と書いた。

 この探求を突き詰めることを助け、レーニンに“金棒”を伝授したのは、「70年代革命家の輝ける巨星群」(レーニン)である。

 「ナロードニキは、その運動において偉大な自己犠牲的精神を発揮し、またその英雄的なテロ的闘争方法は、世界を震撼(しんかん)させた。たしかに、この犠牲は無駄ではなかった。すなわち、この犠牲こそはそれに続くロシア・ナロードの革命的教育を ―― 直接的または間接的に ―― 助けたのだから」(レーニン)。

 

 “金棒”とは、『なにをなすべきか?』〈前衛党組織論〉である。

 これは、最強の“金棒”である ―― 最凶でもある。というのは、敵のせん滅をもくろむ組織すべてにとって(ファシストにも、カルト教団にも)利用可能な組織論だから。

 レーニンは、大文字のレーニンになった。“虎の皮のパンツ”をはく“鬼”は、ついに“金棒”を手に入れたのである。

断章551

 19世紀のロシアでは、あまたの人びとが、ツァーリ専制権力との戦いに生涯を捧げた。戦いの記憶と記録は、受け継がれる。

 

 レーニンは、やがてロシア経済の工業化にともなう労働者運動の活発化などを踏まえて、(「人民主義」ではなく)マルクス主義に立脚することになる。

 その前に、若きレーニンは、兄アレクサンドルの死後、1887年秋にカザン大学のラザール・ボゴラズのサークルと、1888年秋にマリア・ チェトヴェルゴヴァのサークルと、そしてサマラ時代には、N・ドルゴフやザイチネフスキージャコバン派的信条をもつスクリャレンコのサークルと接触していた。まだ若かったレーニンは、その過程で、革命家としての行動規範・行動規則・活動スタイル ―― 中国共産党風にいえば、「作風」である ―― や、非公然・非合法活動のスキル・テクニック、さらにロシア革命運動の歴史などをどん欲に吸収しただろう。

 

 たとえば、レーニンたち、ロシア社会民主労働党ソ連共産党の前身)が1900年12月1日に発刊した機関紙の名称は、『イスクラ』(火花)である。これは、プーシキンが流刑中のデカブリストたちに捧げた「シベリアへ送る詩」に答えて、1827年にアレクサンドル・オドエフスキーが書いた詩「プーシキンに答える」に由来するという。

 

 〈シベリアの鉱道深く 誇り高く耐えよ おん身らの悲しい骨折りと 気高い志は    消えることはない〉(プーシキン

 〈予言の歌のひびきは 燃えさかってここにとどいた 剣に差しのべられたわれらの手は むなしく鎖に捉えられた だが詩人よ、安んじてほしい 運命の鎖をわれわれは誇る 牢獄のとびらのかげで 心はツァーリをあざ笑う

 われわれの悲しい骨折りは消えない 火花から炎が燃え上がるだろう〉

(オドエフスキー)

 

【参考】

 「ストルーヴェの定式化によれば、『人民主義』とは、ロシアの19世紀後半の農民社会主義をさし、ロシアが資本主義の発展段階を経ずに、アルテリと農民共同体から直接に社会主義へと移行することができると考えているものを指す。それはゲルツェンとチェルヌイシェフスキーから鼓舞され、ラブロフとバクーニン、トカチョフの戦略から成り立っており、『人民のなかへ』運動に始まり『人民の意志』派のテロルで頂点に達した」(桂木 健次)。

断章550

 「復讐するは我にあり!」

 「1887年3月12日(当時のロシア暦では2月28日)、ロシア・ロマノフ王朝の皇帝・アレクサンドル3世の暗殺計画が発覚、首謀者らが捕えられた。(中略)

 先帝を暗殺したのは『人民の意志』派という組織で、当然ながら徹底的に弾圧された。大きな打撃を受けた同派を、やがて再興しようとする動きがロシア各地で起こる。アレクサンドル3世の暗殺を計画したのは、そのうちサンクト・ペテルブルク大学の学生たちが結成した『人民の意志・テロリスト・フラクション』と称するグループだった。

 グループの中心となったのは、ピョートル・シェヴィリョフとアレクサンドル・ウリヤノフという動物学科の学生である。彼らは、当時の首都サンクト・ペテルブルクのネフスキー大通りで、皇帝に投弾するつもりだった。しかし、外套の下に爆弾を入れて徘徊(はいかい)していたところを逮捕される。

 ウリヤノフは獄中で母親と面会し、謝りさえすれば死刑を取り消してもらえると説得されたが、『決闘のとき先に発砲しておいて、相手の番になったとき、撃たないでくれと言えますか』と言って断ったという。けっきょく彼は、逮捕から3ヵ月後の5月20日、絞首刑に処された。

 このウリヤノフの4歳下の弟が、ウラジミール・ウリヤノフ(後のレーニン)である。当時17歳だったレーニンに、兄の死が与えた衝撃は大きかった」(文春オンライン・近藤 正高)。

 

 ただし、「復讐するは我にあり!」とは、ウラジミール・ウリヤノフ(後のレーニン)は、言わなかった。

 なぜなら、この言葉は、

 「『よくもやってくれたな~。私には復讐をする権利がある。絶対に復讐してやる。復讐してやるぞー!」という、何とも血の気が多く暴力的な意味で理解していませんか? これは大きな誤解です。

 〈愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する〉〈もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである〉

 『悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい』という」(WEB「キートンキリスト教講座」)意味をもつ言葉なのだから。

 

 「アレクサンドルの死は、レーニンにとって痛ましい個人的な喪失であるだけでなく、政治的な啓示となりました。それは、レーニンの思想と行動に大きな影響を与えました。彼は兄の死を忘れることなく、兄の遺志を継ぎ、帝政ロシアの抑圧的な体制や不平等な社会秩序に対する闘争を始めました。また、彼は兄の死を通じて、革命のためには個人的な犠牲を払う覚悟が必要であること、自らの命を賭けてでも社会の変革を成し遂げる覚悟を学びました。この決意は、彼の指導力と決断力を育てました」(ChatGpt)。