断章550

 「復讐するは我にあり!」

 「1887年3月12日(当時のロシア暦では2月28日)、ロシア・ロマノフ王朝の皇帝・アレクサンドル3世の暗殺計画が発覚、首謀者らが捕えられた。(中略)

 先帝を暗殺したのは『人民の意志』派という組織で、当然ながら徹底的に弾圧された。大きな打撃を受けた同派を、やがて再興しようとする動きがロシア各地で起こる。アレクサンドル3世の暗殺を計画したのは、そのうちサンクト・ペテルブルク大学の学生たちが結成した『人民の意志・テロリスト・フラクション』と称するグループだった。

 グループの中心となったのは、ピョートル・シェヴィリョフとアレクサンドル・ウリヤノフという動物学科の学生である。彼らは、当時の首都サンクト・ペテルブルクのネフスキー大通りで、皇帝に投弾するつもりだった。しかし、外套の下に爆弾を入れて徘徊(はいかい)していたところを逮捕される。

 ウリヤノフは獄中で母親と面会し、謝りさえすれば死刑を取り消してもらえると説得されたが、『決闘のとき先に発砲しておいて、相手の番になったとき、撃たないでくれと言えますか』と言って断ったという。けっきょく彼は、逮捕から3ヵ月後の5月20日、絞首刑に処された。

 このウリヤノフの4歳下の弟が、ウラジミール・ウリヤノフ(後のレーニン)である。当時17歳だったレーニンに、兄の死が与えた衝撃は大きかった」(文春オンライン・近藤 正高)。

 

 ただし、「復讐するは我にあり!」とは、ウラジミール・ウリヤノフ(後のレーニン)は、言わなかった。

 なぜなら、この言葉は、

 「『よくもやってくれたな~。私には復讐をする権利がある。絶対に復讐してやる。復讐してやるぞー!」という、何とも血の気が多く暴力的な意味で理解していませんか? これは大きな誤解です。

 〈愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する〉〈もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである〉

 『悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい』という」(WEB「キートンキリスト教講座」)意味をもつ言葉なのだから。

 

 「アレクサンドルの死は、レーニンにとって痛ましい個人的な喪失であるだけでなく、政治的な啓示となりました。それは、レーニンの思想と行動に大きな影響を与えました。彼は兄の死を忘れることなく、兄の遺志を継ぎ、帝政ロシアの抑圧的な体制や不平等な社会秩序に対する闘争を始めました。また、彼は兄の死を通じて、革命のためには個人的な犠牲を払う覚悟が必要であること、自らの命を賭けてでも社会の変革を成し遂げる覚悟を学びました。この決意は、彼の指導力と決断力を育てました」(ChatGpt)。