断章552

 「わだは革命家になる」(棟方 志功風に)と、レーニンは決意した。ツァーリ専制権力の打倒を誓う“鬼”になった。

 レーニンは、19世紀末のロシア帝国という歴史的社会的文脈のなかで、マルクス主義を“革命の理論”としてつかみとる。

 レーニンは、おのれの軌跡と重ね合わせるかのように、「唯一の正しい革命理論としてのマルクス主義は、ロシアが、前代未聞の苦悩と犠牲、かつて見たこともない革命的英雄主義、想像も及ばないエネルギー、探求のひたむきさ、教育、実践での体験、幻滅、失望、点検、ヨーロッパでの経験との対比の半世紀の歴史で、文字通り苦しんだすえに手に入れたものだ」と書いている。

 “鬼”は、“虎の皮のパンツ”を手に入れたのである。「鬼のパンツは いいパンツ つよいぞ つよいぞ♪」(『鬼のパンツ』)なのである。

 しかしレーニンが、大文字のレーニンになるためには(最強の鬼になるためには)、まだ足りないものがあった。“金棒”である。

 

 レーニンは、1901年5月、『なにからはじめるべきか?』に、「〈なにをなすべきか?〉という問題は、近年とくに力づよくロシアの社会民主主義者(引用者注:マルクス主義者)のまえに提出されている。このばあい問題になっているのは、(80年代の終わりと90年代の初めにそうであったように)どの道をえらぶかということではなく(引用者注:すでに道はマルクス主義と決まったから)、一定の道に沿ってわれわれはどういう実践的な歩みを、またまさにどのようにすすめるべきか、ということである。問題になっているのは実践活動の方法と計画のことである」と書いた。

 この探求を突き詰めることを助け、レーニンに“金棒”を伝授したのは、「70年代革命家の輝ける巨星群」(レーニン)である。

 「ナロードニキは、その運動において偉大な自己犠牲的精神を発揮し、またその英雄的なテロ的闘争方法は、世界を震撼(しんかん)させた。たしかに、この犠牲は無駄ではなかった。すなわち、この犠牲こそはそれに続くロシア・ナロードの革命的教育を ―― 直接的または間接的に ―― 助けたのだから」(レーニン)。

 

 “金棒”とは、『なにをなすべきか?』〈前衛党組織論〉である。

 これは、最強の“金棒”である ―― 最凶でもある。というのは、敵のせん滅をもくろむ組織すべてにとって(ファシストにも、カルト教団にも)利用可能な組織論だから。

 レーニンは、大文字のレーニンになった。“虎の皮のパンツ”をはく“鬼”は、ついに“金棒”を手に入れたのである。