断章297

 桐一葉落ちて天下の秋を知る ―― 落葉の早い青桐の葉が一枚落ちるのを見て秋の訪れを察するように、わずかな前兆を見て、その後に起こるであろう大事をいち早く察知することをいう。

 アメリカの巨大企業は、ついに「地政学的」な発想での巨額投資に舵を切った。

 

 「半導体受託製造(ファウンドリー)世界最大手の台湾積体電路製造(TSMC)が先行して進めている米国アリゾナ州の先端半導体工場計画が早くも難路にかかる。建設費用が当初想定の数倍に膨れ上がりそうなほか、材料などのサプライチェーン(供給網)構築でも課題山積だ。同社と取引のある日系サプライヤーも多いが、高リスクから米国進出に二の足を踏む可能性がある。

 『TSMCアリゾナはえらい苦労しているようだ。業者から見積もりを取っている段階だが、台湾と比べてとてつもない金額らしい。建設費用だけで6倍だとか』(業界関係者)と米国の建設コスト高騰が直撃する。

 TSMCは米アリゾナ州に建設する半導体工場を2021年内に着工し、2024年の稼働を予定。回路線幅が5ナノメートル(ナノは10億分の1)の先端品を製造する。2020年5月に発表した総投資額は120億ドル(約1兆3,000億円)の見込みだった。

 米国の人件費は台湾と比べて3割以上高いものの、労働生産性は逆に低いため、数字以上のレイバーコスト高がすでに悩みの種だ。『トランプ前政権に言われて地政学的リスクも含めて進出を決めたのだろうが、あの国に出るのは簡単ではない』(同)と経済合理性に疑問符が付く」(日刊工業新聞)と報じられたのは、つい先日のことである。

 

 にもかかわらず、「米国が半導体産業の復権に向けて動き出した。バイデン政権が国内生産の回帰策を掲げるなか、大手のインテルは約2兆円を投じて新工場を米国に建設する。あわせて他社開発品を量産する受託生産事業にも乗り出す。半導体はデジタル社会を支える中核製品だが、最先端の開発製造ノウハウは生産シェアで勝る台湾と韓国勢に流れがちだ。国をあげた技術覇権の競争が本格化する。

 インテルは23日、今後数年間で200億㌦(約2兆1700億円)を投じ、米西部のアリゾナ州に新工場を建設すると発表した。2024年の稼働を目指し、パソコン向けCPU(中央演算処理装置)などに使われる回路線幅が7ナノ(ナノは10億分の1)程度の先端の半導体生産を狙う。同社は7ナノ開発で出遅れており今回は巻き返しに向けた巨額投資となる。

 ライバルはその先を行く。今年のトップ3社の設備投資額を比較すると、台湾積体電路製造(TSMC)は280億ドル、韓国サムスン電子もほぼ同額。インテルの投資は約1兆円も少ない。

 現在、半導体の生産量と技術力で業界をリードするのがTSMCサムスン電子だ。受託生産売上高ではTSMCはシェアで5割を超える。微細化でも2社は7ナノより1世代先の5ナノ品を既に量産し、商品投入も昨年から始まっている。TSMCの5ナノ品は昨秋から、米アップルのスマホ『iPhone12』向けに全量供給がスタートした。他社を寄せ付けない大型投資は、技術力を維持して優良顧客をひき付ける最重要の戦略だ」(2021/03/24 日本経済新聞)。

 

 注目すべきは、インテルが決断をした理由のひとつとして、「ゲルシンガーCEOは、『半導体をめぐる環境は大きく変わりつつある。現在ファウンダリーの最先端の製造施設の大部分はアジアにある。このため、業界では地政学的にもっとバランスを取ってほしいという声が増えている』という、今日の世界情勢にあって、非常に印象的な声明を発表した」(笠原 一輝)。

 

 地政学! 危機の時代、「国家の論理」と「資本の論理」は、手を取り合って進むことが明らかである。上記の記事中に日本も日本企業も存在しない。しかし、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」。わずかな前兆を見て、その後に起こるであろう大事をいち早く察知することは、日本にとって大切なことである。

断章296

 「政治は結果がすべて」と、日本の保守政治家は言う。この見解は、わからないでもない。というのは、「共産主義者の使命は、民衆に奉仕することである」と宣伝していた毛 沢東やポル・ポトによる政治の結果を見てみれば・・・。

 

 それにしても、「新聞の1面トップ級ニュースだと思うが、これまでのところほとんど報じられていない。税金と社会保険料に関する国民負担の数字である。

 財務省によると、分母に国民所得、分子に税負担と社会保障負担の合計値をおいて算出した国民負担率は、2021年度に44.3%になる見通しだ。国民負担率に将来世代の税負担になる財政赤字の比率を加えた潜在的国民負担率は、56.5%と見通している。けっこう高いと感じるが、この数字だけなら中程度のニュースだ。

 目を注ぐべきは、同時に明らかになった2020年度の実績見込みである。国民負担率は46.1%だが、潜在的負担率は66.5%と、法外に高い値が記されている。高負担国家の代名詞であるスウェーデンでさえ潜在的負担率は58%台止まりだ(2018年実績)。むろんコロナ対策で、今は同国の負担率も上がっているかもしれない。だが18年の財政赤字比率がゼロという巧みな財政運営を考えると、コロナ対策費を借金でまかなったとしても国の財政の余裕は日本よりはるかに大きい。

 ちなみに、日本の財務省が昨年2月に公表した資料をみると、20年度の潜在的負担率の見通しは49.9%だった。この1年間に16.6ポイントも跳ね上がったのは、ひとえにコロナ対策のせいだ。赤字国債の発行という将来世代へのつけ回しで財源を工面した。その事実を物語る数字である。〈中略〉

 根源的な問題は、潜在的負担率が66.5%に膨れあがる過程で、コロナ対策を名目にすれば将来世代につけをどんどん回してもいいんだという空気が醸成されたことではないか。もちろん100年に1度のパンデミックである。蒸発した需要をカバーする責務は、一義的に国・自治体など公的セクターにある。だが『対策費は大きいほど善だ』という意見に疑問を呈する声はかき消され、異論を封じてしまった政策決定プロセスは、改めて検証が必要になるだろう。〈中略〉令和の日本を、江戸期の『五公五民』をしのぐ重税国家に陥らせた経過が軽すぎないだろうか。〈中略〉

 潜在的負担率を1年で66.5%に上昇させた過程の検証が十分でないままに、21年度の政府予算案は、週内にも国会で成立する運びだ。重税国家への足音がひたひたと忍び寄ってくる」(2021/03/24 日本経済新聞・大林 尚)。

 

 日本の高度経済成長は、アメリカを「模倣」したことによる成長であった。やがて、知識や技術、そして消費生活もアメリカに追いついた。すると、慢心・安住して次の「創造」に踏み出すことができないで停滞した。経済のパイが大きくならなければ、当然、今あるパイの取り分の争いになるのは必定である。だから、各種利益集団・圧力団体と政界・官界の癒着も増大するのである。

 

 わたしたち貧乏人には、日本がもっと豊かになること、経済のパイがより大きくなることが必要である。

 主権国家が覇権をめぐり勢力圏を巡って争う時代の国政の「基本」は、「富国強兵」「殖産興業」でなければならない。すでに十分満ち足りた「インテリ」たち(例えば、白井 聡の暮らしぶりを見よ!)による、「資本主義は悪。経済成長は環境破壊」という“プロパガンダ”にだまされてはならない。

 資本主義の“妙”は、インセンティブイノベーションの両輪をフルに駆動できれば、物の大量破棄や資源の無駄使いといった問題を解決できる「省エネ」「省資源」「合理化」をも実現していくことにある。

断章295

 「ジョー・バイデン米大統領(78歳)は17日放送のインタビューで、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は『殺人者』であるとの認識を示し、米選挙介入を試みた『代償を払うことになる』と述べた。ロシア政府はこれを受け、駐米大使を本国に召還。米ロ関係は危機に陥った」(2021/03/17 AFP通信)。但し、ロシア外務省は、「米国政府によって袋小路に追い込まれたロ米関係を改善できるか協議するため」と、煙幕を張った。

 しかし、ロシアの本音は、ラブロフ外相の中国での発言に明白である。

 「ラブロフ外相は22日、中国の王毅外交担当国務委員兼外交部長の招請で1泊2日の日程で北京に到着した。この日、両国外相は18~19日、米アラスカで開かれた米中高官級会談の結果を共有し、対米けん制案を話し合ったとみられる。中国の『グローバルタイムズ』はこれに先立って、18日『中露連携を強化すれば、米国が韓日連鎖会談後に問題を起こすことによる余波を相殺できるだろう』と主張した。ラブロフ外相は22日、中国言論とのテレビ会見で『今日国際舞台で特定国家を処罰するというのは正しくなく、このような論理をロシアと中国に適用するのも賢明でない』と声を高めた」(2021/03/23 中央日報)。

 

 プーチンが主導したロシア憲法改正案が、国民の圧倒的賛成多数で承認され、プーチン2036年まで大統領職にとどまる道が開かれたのは、昨年のことだった。

 「憲法改正案の200箇所以上にわたる改正項目は、一括して全国投票にかけられたので、事実上、プーチンの信任投票となった。

 最大の柱は大統領の任期だ。『2期』に限定されるが、改憲前の任期は算入されない。このため、通算4期目のプーチン氏は2024年の任期満了後もさらに2期12年、83歳まで君臨できる。退任後は『終身上院議員』となり、身分は『不可侵』と定められた。終身大統領制を導入したのも同然だ。

 反体制派の弾圧などで強権的と言われてきたプーチン氏のさらなる専制化が懸念される。

 愛国心を高めるしかけも多い。第二次世界大戦を念頭に、『祖国を守った人々を追悼し、歴史的真実を守る』という条項はその一つだ。第二次世界大戦勝利の記憶を神聖な域にまで高め、求心力につなげるプーチンの政治を反映している」(2020/07/04 毎日新聞)。

 

 以前述べたように、旧・ソ連崩壊後、「共産主義」を放棄して資本主義への道を進もうとしたロシアにあったものは、無秩序と混乱だった。というのは、共産党の長年にわたる監視と密告の支配によって、ロシア社会は相互不信の“低信頼社会”と化していた。なので、当時のロシアに現出したものは、詐欺と恐喝と暴力と強奪のマフィア社会だったからである。

 この無秩序と混乱が、プーチンの強圧的な独裁による秩序と安定を呼び出したのである。

 

 政治体制が、強圧的な独裁になるか、他のもの(例えば、温和な民主制)になるかは条件次第である。国家としての《本質》は同じである。

 

 「国家こそ暴力の根源である、と考える人は多い。しかしこれは転倒した“表象” (イメージ)にすぎない。事実は逆で、国家が国家であるかぎり、それは必ず『暴力の縮減』を第一の機能としてもつ。そうでなければ秩序ある社会の存立はありえない。独占された武力によって普遍的暴力を制御すること。これが『国家』の第一の機能であり、これを果たさなければ誰も国家を必要とせず、承認もせず、つまり国家は存在理由をもたない」(竹田 青嗣)のである。

 スティーブン・ピンカーによれば、「狩猟採集民族の一団や部族や首長制国家が最初の国家の監督下に置かれたとき、集団間の襲撃や反目が制圧されることによって、暴力による死亡率は5分の1に減った。

 ヨーロッパの封建諸侯の封土が合体して王国や君主国となったとき、法執行が統合された結果として、殺人率はさらに30分の1に減った」(『暴力の人類史』)らしい。

 もし、「国家がなければどうなるか。私刑などがはびこる社会になるだろう。私たちが、ちまたの暴力におびえずに生きられるのは、国家が暴力を独占しているからである」(萱野 稔人)。

断章294

 中国共産党は、紅色全体主義として、(今のところ)成功の絶頂期にあるように見える。

 なので、「これはほとんど報じられないが、香港の自治と自由を求める国際社会とはちがって、中国のひとびとは共産党の香港政策を圧倒的に支持している。中国の経済成長によって、とりわけ都市部のゆたかなひとたちはもはや香港を『別世界』とは考えなくなった。そんな大衆の『なぜ香港だけが特別扱いされるのか』という巨大な民意に押されて、共産党は強圧的な対応を続けるしか選択肢がなくなっている。私は香港にさまざまな思い出があり、とても残念だが、国際社会がどんなに『圧力』をかけても香港の『中国化』を押しとどめることはできないだろう」(橘 玲)という見解がある。

 

 ところで、ナチスが(黒色全体主義として)成功の絶頂期にあったときのドイツ国民は、どうだったのか?

 「ヒトラーは、国民投票で89.9%の支持を獲得した。1936年には、大競技場に集った10万人の大観衆を前に、ヒトラーがベルリン・オリンピックの開催を宣言した。

 プロパガンダの手段として初めて『聖火リレー』が採用され、……女性映画監督レニ・リーフェンシュタールによる記録映画『オリンピア、民族の祭典』『美の祭典』が製作された」(『世界史の窓』)。

 

 あるいは、赤色帝国主義(赤色全体主義)そのものだった旧・ソ連邦の国民は、どうだったのか? 

 日本人としていち早くソ連邦崩壊を予想した小室 直樹でさえ、1984年の『ソビエト帝国の最期』では、「ソ連人は、西ヨーロッパ式“自由”なんぞなくても平気だし、ひとが、かかる“自由”を求めて命を賭したりしても、あまり感動はしない。この点、自由が教義にまで高められている欧米諸国とは根本的に社会的条件を異にする」と書いていた。

 だが、それから10年を経ずして、1991年12月、ソビエト連邦共産党は解散した。また、すべてのソ連邦構成共和国の主権国家としての独立ならびに同年12月25日のソ連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソ連邦は崩壊したのである。

 

【参考】

 「米アマゾン・ドット・コムの創業者ジェフ・ベゾス氏や米マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ氏が公の場から姿を消したとする。きっとバイデン米大統領の命令で逮捕されて、政府の極秘の場所で厳しい取り調べを受けているのだ、と誰もが即、何の疑いもなくそう考える状況を想像できるだろうか。

 だが世界第2位の経済大国では起きている。保有資産が500億ドル(約5兆3000億円)を超えるアリババ集団創業者の馬雲(ジャック・マー)氏は、昨年10月以来一度しか姿を公の場にみせていない。しかもその一度は1月にオンラインのイベントで短くあいさつした程度で、同氏が政府に拘束されているとの臆測を静めるにはほど遠かった。馬氏が姿を消したのは、昨年11月に予定していたアリババ集団傘下の金融テック会社アント・グループの新規株式公開(IPO)を当局が差し止めた直後のことだった。このIPOが実現すれば過去最大規模の資金を調達できるはずだった。

 最新の噂では馬氏は南シナ海の島でゴルフを楽しんでおり、資産の大半を維持できるだろうとみられている。だが中国で最も有名な起業家にあのような容赦ない恥をかかせたことは、中国という国が根幹に抱えている著しい矛盾がさらに拡大しつつあることを物語っている。

 中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は『中華民族の偉大な復興』という夢の実現に取り組んでいるが、それには民間企業の成長によって急速な経済発展を遂げるしか道はない。だが習氏は同時に政治権力を自らに集中させ、国有企業部門を拡大し、中国共産党が個人の生活や企業活動のあらゆる面に介入する権利を強化してきた。

 『東西南北およびその中心も一切を党が支配する』。これは習氏が好きなスローガンの一つだ。伝統的マルクス主義や『中国の特色ある社会主義』を常に強調するが、習氏にとっては不都合にも中国都市部の雇用の8割と国内総生産GDP)の6割は民間企業が創出している。

 億万長者で自身も中国共産党党員である馬氏は、中国が国家を挙げて追求するイデオロギーに内在する矛盾をいわば体現している。昨年後半までの馬氏のキャリアは、中国共産党以外の権力や権威といったものは徹底的に排除する『市場レーニン主義』、つまり国家資本主義の下で企業家として生き残るべく最も巧みに立ち回った成功例の一つといえる。

 プーチン大統領が支配するロシアと同じく、中国の新興財閥(オリガルヒ)も国家に奴隷のように忠実でないという兆しを少しでもみせれば、すぐに容赦のない罰が下される。

 つい最近まで馬氏は『国家にかわいがられる資本主義者』の役をうまく演じてきた。筆者が馬氏に最初に会ったのは05年、米ヤフーがアリババ株の40%を取得した際の式典の場だった。ヤフーは当時、深刻な問題に陥っていた。中国当局に電子メールのユーザー情報を引き渡したことで、中国国内のジャーナリストや人権活動家らが逮捕され長期に収監されたことにつながったためだ。

 本件について尋ねると、馬氏は『(政府が)何を求めてきても私はそれに従う』と即答した。天安門事件民主化運動弾圧のため戦車を投入した中国共産党の決断も支持する発言をした。別の取材では政府の要請があればいつでも自分の会社すべてを『国』に差し出すと述べた。

 中国のテック業界で財を成した他の億万長者と同様、馬氏は監視技術などを駆使した中国の『全体主義化』に重要な役割を果たした。中国の他の資産家と同様、馬氏も中国共産党の幹部やその親族とマメに人間関係を構築した。アリババやアント・フィナンシャルの大口投資家には、江沢民国家主席の孫など、権力者の子弟が含まれる。

 こうした支援者らが政治的影響力を失い、アント・グループ株を手にする機会がなく過去最大のIPOの恩恵を受けられない新世代の指導者らから馬氏を守りきれなかった。このことが馬氏が今、苦境にある一因かもしれない。だが馬氏の最大の問題は莫大な資産を抱えて傲慢になり、中国で最も派手な起業家として目立ちすぎたことだ。

 今年7月に中国共産党創立100年を迎えるため、習氏は中国社会主義の歴史に名を残す重要人物らに熱烈な賛辞を贈ることで自らの指導者としての正統性を強化しようとしている。だが中国では昨年、最も豊かな国民20%の平均可処分所得が最も貧しい20%の平均の10.2倍に上っただけに、習氏が自らの評価を高めるのは容易ではないかもしれない。弱肉強食の資本主義国である米国でさえ、この数値は約8.4倍だった。

 習氏は過去、自由市場の考え方に傾いた時期もあった。だが今の政策をみると、全体としては依然として民族主義イデオロギーを最重要視しているものの、同時にマルクス主義社会主義に近い目標を目指しているように思える。

 ただ、1949年に国共内戦に勝利した時のように中国共産党が民間企業を国有化しさえすればよいわけではないことを習政権は承知している。

 今掲げる目標の達成は、もっと微妙な問題をはらんでおり難しい。習氏は民間企業を後押しする一方で、起業家らの行動から動機、果てはその思想まで中国共産党の考えで統制したいと思っている。習政権は昨年9月、民間企業向けの新たな指針を発表し、各社は社内に共産党委員会なるものを設け、人事その他の重要案件については同委員会の承認を得るよう求めた。

 新指針は、企業人は中国共産党と『政治的、思想的、感情的に一心同体』になるよう教育されなければならないと定めている。従って民間部門への介入や馬氏のような著名な資本主義者への見せしめは今後、その頻度と激しさを増していくだろう。

 これが海外の投資家にどう影響していくかが大きな問題だ。特に米ウォール街の銀行や資産運用各社は今、中国への投資を拡大しているからだ。ゴールドマン・サックスブラックロックなど米資本主義を代表する企業が習氏と『政治的、思想的、感情的』に方針を一致させることなどできるのだろうか。

 米政府は中国に進出した米企業の経営組織内に中国共産党の細胞があることをどう考えるのだろうか」(2021/03/05 日本経済新聞:英FT紙・by Jamil Anderlini)。

断章293

 中国は、紅色帝国主義としての本領を発揮しつつある。

 ブータンを圧迫し、インドを挑発し、つい先日は、「先月、中国人民解放軍海軍の警備艦が西海(黄海)で活動していたが、今回はとうとう東経124度を越えて東側に入ってきた。東経124度は中国が自分たちの海上作戦区域境界線だとし、一方的に設定した線だ。中国軍艦はこの線で止まらず、さらに10キロほど進入してきた。韓国側の海に入ってきて、白リョン島から40キロほど離れた海域まで接近した。

 韓国海軍は直ちに西海で北方限界線を監視していた戦闘艦1隻を現場に急派し、中国警備艦の監視と牽制に入った。 匿名を求めた政府消息筋は26日、『最近、中国警備艦は東経124度に張り付くようにして航海し、ほぼ毎日この線を越えてきて、白リョン島のほうへ向かっている』とし『昨年12月は珍しく(韓国側に)深々と入ってきたケースだ』と話した。

 もちろん、白リョン島から40キロ離れた海域は公海だ。だが、海上でここまで接近すること自体が軍事的な領域アピールになる。 野党『国民の力』のシン・ウォンシク議員が合同参謀本部と海軍から入手した資料によると、中国海軍の警備艦数隻が東経123~124度の間の海域に毎日のように出没している。空中も同じだ。中国軍海上哨戒機が東経123~124度の上空でほぼ毎日数回飛行する。中国が西海を内海化しようとする『西海工程』に露骨に乗り出している」(2021/01/27 中央日報)。

 

 さらに、「フィリピン政府は20日南シナ海に面するパラワン島沖の排他的経済水域EEZ)内に、民兵が乗船するとみられる中国漁船約220隻が集結していると発表した。海域で領有権問題を抱える中国による圧力とみられる。

 発表によると、比当局は7日、船団が島の西方約175カイリ(約324キロ・メートル)のスプラトリー(南沙)諸島の海域で隊列を組んで停泊しているのを確認した。漁業活動は行っていないが、夜間には電灯をつけているという。比政府は、『状況を引き続き監視する』としている」(2021/03/22 読売新聞・ハノイ電)。

断章292

 龍虎相食む帝国主義の時代に、植民地・後進国に突き落されまいと、明治維新を成し遂げた日本は、近代化・現代化に向かって突進した。突き動かしたものは国家・民族存亡の“危機意識”であり、発展の土台となったものは庶民の“勤勉革命”だった。

 ―― 「勤勉革命とは、江戸時代農村部に生じた生産革命である。産業革命が資本を利用して労働生産性を向上させる資本集約・労働節約型の生産革命であったのとは対照的に、家畜が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命であり、これを通じて日本人の『勤勉性』が培われたとされる。(中略)

 勤勉革命を通じて土地生産性は向上する。耕地1反あたりの実収石高(全農業生産物を米に換算した生産高)は江戸時代初期においては0.963石であったのに対し、江戸時代を通じて右肩上がりで増加を続けた結果、明治初期には1.449石に達している。米生産に限ると明治初期の1878~82年頃では1ヘクタールあたり2.53トン(1反あたり1.69石)で、これは実に70~80年後の他のアジア諸国の生産高に匹敵もしくは上回る水準であった」(WIKI)。

 

 “勤勉革命”で庶民が身に着けた道徳(エートス) ―― 共同体で遵守される慣習や慣行により共同体で共有される意識や実践 ―― は、「左翼」知識人からは“通俗道徳”だと鼻先でせせら笑われた。しかし、「左翼」知識人の高尚な“ご高説”が、お化粧を落としたスッピンの素顔では、ごく普通の庶民が本を読まずに学ぶ“通俗道徳”とさほど変わらない、ということがよくあるのだ。例えば、「力なき者には多くを与え、力ある者には多くを課する」という《原理》などがそれである。

 

 21世紀の日本人のナショナル・アイデンティティの基礎には、「雨にも負けず 風にも負けず」や「野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人を爽やかにして」と言う日本の庶民のやさしい“心ばえ”があってほしいと、わたしは思う。

断章291

 “資本”こそが、最強の王である。コロナ禍があろうと、米中対立があろうと、“資本”の世界制覇、すなわちグローバリズムは進んで行く。なぜなら、後進国の貧しい民衆の、「先進国の生活水準に追いついて、より豊かな暮らしがしたい」という願いを叶えることができるのは、“資本”の自由な運動による経済発展だけだからである。

 かつて貧困から脱却するために、民衆は厳しい全体主義支配(スターリン毛沢東)や厳格な軍国主義の支配さえ甘受した。しかし、歴史が示した教訓は、“資本”の自由な運動を認め、個人の私的欲望を解き放つことが、急速な経済発展の一番の近道だということである(「改革開放」後の中国を見よ!)。

 

 中近東やアフリカには、“資本”の自由な運動を阻害する旧習や宗教的タブーが多くある。しかし、あきらめることを知らない“資本”は、扉をこじ開け、さまざまな手立てをつくして、それらの国々にも浸透していく ―― そして、どうしようもない“失敗国家”の貧しい民衆は、人口爆発に背中を押され、豊かな生活を夢見て先進国への命がけの移民・移住を試みている。

 

 “資本”が最強の王である時代には、ナショナル・アイデンティティ(あるいは国民意識)は、希薄化せざるをえない。“資本”と親和的なイデオロギーは、コスモポリタニズムだからである ―― 外国人があなたの会社のボスになり、外国人があなたの娘の夫になる。

 「コスモポリタニズムとは、全ての人間は、国家や民族といった枠組みの価値観に囚われることなく、ただ一つのコミュニティに所属すべきだとする考え方である。世界市民主義・世界主義とも呼ばれる。コスモポリタニズムに賛同する人々をコスモポリタンと呼ぶ」(WIKI)。

 

 かかるナショナル・アイデンティティ(あるいは国民意識)の希薄化、ないしは危機から免れることは難しい。寡頭専制のロシアはナショナリズムロシア正教(宗教)の強化によって、全体主義の中国は民族共産主義の教化によって、韓国は「反日」官製民族主義の宣伝で対応しようとしている。アメリカは大きな分断を抱え込んでいる。

 では、日本はどうか? 第二次世界大戦の敗戦と戦後民主主義によるアノミー(社会の規範が弛緩・崩壊することなどによる、無規範状態や無規則状態)から抜け出すことは、決して容易なことではない。日本人のナショナル・アイデンティティ(あるいは国民意識)を、カビ臭い復古主義や「武士道」で蘇らせることは、もはや無理であろう ―― 「武士道」にしても、「江戸時代の武士は戦国時代のご先祖の遺族年金として禄を食んでいるだけの年金生活者でした。軍人としても官僚としても実務能力を備えていませんでした。武士道などという言葉すらほとんど使われず、武士道は明治になってから、新渡戸稲造が西洋の騎士道に似たものがあったとして半ば捏造(ねつぞう)したものです」(八幡 和夫)という見解があり、映画『切腹』に見られるように、中世武士と戦国武士と江戸家臣団と西国下級武士では大きすぎる違いがある。

 日本人のナショナル・アイデンティティ(あるいは国民意識)は、このグローバリズムの荒波に洗われた後に、なおかろうじて残ったものの中からしか再興されないだろう。それがどんなものか、まだ誰もわからないと、わたしは思う。

 

【参考】

 「新渡戸稲造(1862~1933)は、1899年に著した『武士道』において、西欧のキリスト教に代わりうる日本的な倫理の基礎を『武士道』に求めた。新渡戸のいう『武士道』とは、キリスト教のように教義体系とはならず、日常生活の規範を形作っている。『それは時には語られず、また書かれることもない作法である。それだけに、実際の行動にあっては強力な拘束力を持ち、人々の心に刻み込まれた掟である』。そして、このいわば『沈黙の規範』の背景をなしているものは、仏教からくる運命観、神道からくる自然崇拝・先祖崇拝、そして儒教からくる道徳観、これらの混融だと新渡戸は述べるのである。だが彼はまた次のように述べる。

 『めざましいデモクラシーの滔々たる流れはそれだけで武士道の残滓を飲み込んでしまう勢いを持っている』。だから、確かに『武士道の余命はあといくばくもないように見える』と。

 しかしまた新渡戸はこの書物の結びにおいて、それにもかかわらず武士道の記憶は保持され、いつかは蘇生するだろうという期待を書きしるさざるをえなかった。『武士道は一つの道徳の掟としては消滅するかもしれない。しかしその光と栄誉はその廃墟を越えて蘇生するに違いない。何世代か後に、武士道の習慣が忘れられ、その名が忘れられるときがきても、路辺に立ちて眺めやれば、その香りは遠く離れた、見えない丘から風に漂ってくるだろう』と」(佐伯 啓思)。