断章284

 「日本共産党は、2020年1月28日、第28回党大会で党綱領を改訂した。党綱領改定は実に16年ぶりの出来事であった。この中で、従来日本共産党は中国を『社会主義をめざす新しい探究が開始された国』としていたがこの部分を削除し、『いくつかの大国で強まっている大国主義・覇権主義は、世界の平和と進歩への逆流となっている』と挿入して中国共産党への批判を強めた。

 この中国認識の転換の理由として、日本共産党は東・南シナ海における中国の覇権主義的行動のエスカレート、香港における人権侵害およびウイグル自治区における人権弾圧をあげた。〈中略〉

 ―― 我が党は1960年代以降、ソ連と中国という『社会主義』を名乗る2つの国からの激しい覇権主義的な干渉攻撃を受け、それを断固として拒否し、自主独立の路線を守り、発展させてきました。ソ連によるチェコスロバキアアフガニスタン侵略などを厳しく批判する闘いを展開した。中国指導部による『文化大革命』や『天安門事件』などの民主主義抑圧の暴圧に対しても、最も厳しい批判を行ってきました。今回の綱領一部改定案は、中国に現れた大国主義、覇権主義、人権侵害を深く分析し、『社会主義を目指す新しい探求を開始』した国とみなす根拠はもはやない、という判断を行いました。

 中国の党は『社会主義』『共産党』を名乗っていますが、その大国主義、覇権主義、人権侵害の行動は『社会主義』とは無縁であり、『共産党』の名に値しません。中国に現れた大国主義・覇権主義は世界にとってもはや座視するわけにはいかない重大性を持っています。にも拘らず、その誤りに対する国際的な批判が全体として弱い。特に日本政府は全く弱く、追従的である ―― 日本共産党・志位委員長」。

 

 上記を、「徹底的な中国共産党批判」だと評価する者は、共産党の“言葉”に眩惑(ゲンワク)されてカモられた者たちであるか、あるいは共産党にすり寄る者たちである ―― 眩惑とは、「目がくらんで、まどうこと。目をくらまし、まどわすこと」。

 

 なぜなら、それは上記の一部を見るだけでも明らかである。例えば、上記中にある「天安門事件」である。それは、1989年に中華人民共和国北京市にある天安門広場民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使して多数の死傷者を出したことである。

 「天安門」当時、中国共産党の表向きトップ(本当のボスは、鄧 小平)だった趙 紫陽は、事件後すべての職を解任され、以降16年間にわたって自宅軟禁され、2005年に死去した。

 自宅軟禁中に思索を重ねた趙紫陽は、以下を語ったと伝わっている。

 「現在の社会に現れているあらゆる悪弊は、鄧 小平が経済分野では改革・開放を主張しながら、政治分野では高度集権を堅持しようとしたところに端を発している」。

 「中国で現在発展しているのは、まさに官僚資本主義だ。政府が土地を囲い込み、民衆から土地を取り上げ・・・地価を安く設定してディベロッパーに大量に払い下げ、今度は高値で売る。被害にあった庶民が、焼身自殺する事件が何件も起きている。株も操作され、買い占められている」。

 「工場のマネージャーと(党)書記が利益を得る一方、国営企業は株式を売り、大量の富が彼ら権威者の懐に入る。かつては・・・土地も値打ちがなかった。だが、市場化されると土地の価格は高騰し、その利益は少数の人間に持っていかれる」。

 「中国における腐敗は・・・制度的な問題だ。資本主義国家でも腐敗は起きているものの、私有制のもとでは好き放題に財産を掠め取ることなどできないし、言論の自由のもとでオープンな監視にさらすことができる。中国では手中の権力を利用し・・・公然と国有財産を横領している」(『趙 紫陽』ビジネス社刊・2008年)。

 

 肝心なことは、日本共産党は、この恐るべき「人権弾圧・侵害」の「天安門」後でも、中国を「社会主義をめざす新しい探究が開始された国」と党綱領で賞賛し続けてきたという“事実”である。

 

 そもそも、中国共産党日本共産党は、共に、人民を幸せにする ―― 共産主義という地上の楽園を実現する ―― という甘い言葉で“赤頭巾ちゃん”(人民)をだまして、お家に入るや赤頭巾ちゃんを食ってしまう、赤頭巾をかぶった“人食いオオカミ”(全体主義)である。

 日本共産党は、これまでもしばしば中国共産党と“対立”した。しかし、日本共産党中国共産党は、同じマルクス主義スターリン主義)教会のドクトリンの下に生まれ、かつては兄弟党だと言っていた仲である。だから双方の“対立”は、結局、なしくずしに修復され、揉めても揉めてもヨリを戻してきた。例えば、大事な「党綱領」で、「社会主義をめざす新しい探究が開始された国」と、中国を高く評価してきたのである。

 

 では、なぜ、今になっての「綱領改定」であり、改めましての“中国批判”なのか?

 

 その理由のひとつ目は、まだこれから甘く優しい“言葉”で赤頭巾ちゃん(日本の民草)をだまして、お家に入れてもらう(権力が欲しい)立場にある日本共産党にとって、中国共産党が、鄧 小平の教えである「韜光養晦(とうこうようかい)」(才能・爪を隠して、内に力を蓄える)を守っているうちは好都合だったが、ここ最近の、習 近平・中国共産党の尊大であつかましく、目をぎらつかせ、赤い舌で舌なめずりをし、牙をむき出しに行動する “人食いオオカミ”まるだしの振る舞いは、大迷惑で腹立たしいものになったからである。日本共産党は、「そんなやり方では、共産党とは、赤頭巾をかぶった“人食いオオカミ”だという正体がばれてしまう。いい加減にしろ」と怒っているのである。

 

 その理由のふたつ目は、「文化大革命」の頃のように中国共産党と口汚くののしる関係に陥って、昔のこと ―― 例えば、「1951年1月には中国共産党中央対外連絡部が、急ぎ創建された。初代部長には初代駐ソ大使を務めた王稼祥が任命された。王はソ連に長く留学した知識人で、『毛沢東思想』の最初の提唱者でもあり、毛沢東の党内主導権の確立に大きな貢献があった。

 中連部の設立には日本が深く関わっている。この頃日本共産党では、中ソ両共産党が推す武装闘争路線の採用の是非をめぐって内部闘争が起き、書記長の徳田球一を含む親中派幹部が中国共産党に介入を要請し、極秘訪中を決めた。中連部は彼らの受け入れにあたる組織としてまず設立され、その敷地内に日本共産党幹部の宿舎も建設される。ほどなく、日本共産党武装闘争を唱える『51年綱領』を採択し、農村部を中心に火炎瓶闘争を始め、日本の国会で議席の多くを失った」(『中国の行動原理』益尾 知佐子) ―― を持ち出されても、「そんな昔のこと、もう“時効”だよね」と言えると思ったからである。

 

 これが、今になっての、日本共産党による中国共産党“批判”の《本質》であり《真実》である。