断章324

 ヒト(人間)が《際限のない欲望》をもつにいたったのは、それを多くもっていた者ほど生き残ることができ、より多くの子孫を残すことができたからである。《際限のない欲望》が焚きつけるモチベーション(人が何かをする際の動機づけや目的意識)が、大いに飲食し、捕食者から素早く逃れ、せっせとセックスし、好奇心を旺盛にし、外敵に勝ち、集団を支配するのに必要だったからである。

 そして、もし《際限のない欲望》がなくなれば、どんなモチベーションがあるというのか?

 あるいは、《際限のない欲望》を叶えることはできないとあらかじめ決まっているなら、生きる意味があるというのか?

 

 最近の研究によれば(WIREDなどを参照)、ヒトには、大きな人口ボトルネックがあったという。

 約75,000年前に人口が急減して人類の総数が10,000人以下となった形跡があるという。原因は、インドネシアスマトラ島トバ火山の大噴火による寒冷期(火山の冬)の到来ではないかという。

 また約8,000年前頃、生殖を行った女性17人につき自分のDNAを伝えることができた男性は1人だけだったという研究結果が発表されている。この原因は、男性の社会的競争の激化である可能性が高いという。つまり、農業や牧畜の開始、コミュニティの形成、車輪の発明など、急激な技術革新による変化が、より競争の激しい環境をつくり出し、その結果、一部の男性が他の男性よりも著しく大きな富を手に入れ、ボスによる“セックス”の独占があったのかもしれない ―― 1991年にアルプス山脈の氷河で見つかった、約5300年前の「アイスマン」と呼ばれる男性の冷凍ミイラがある。その分析所見からは、「アイスマン」は平和なアルプスに暮らす「牧童」だったというよりも、太古の「戦士」(例えば現代ドイツ軍の山岳猟兵)のように見える。

 

 欠乏は渇望を呼ぶ。とりわけ食糧とセックスの飢餓は大きなトラウマになる。戦争中の日本のように。

 だから戦後の日本人は、「煮えたぎるような野望や火傷するほど熱い情熱を持って、あるいは貧困や苦労が生み出した欠乏感を埋めるために必死に働いて」「ひたすら昇進の階段を登りつめるような生き方を」(松繁 寿和)したのである。

 

 誰もがもつ《際限のない欲望》を叶えることは、これまでの人類史においては、一握りの王侯・貴族にだけ許されたことだった。庶民・奴隷には、たとえ生まれた子どもに「のぞみ」「かなえ」「たまえ」と命名しても、とうてい叶わない夢だった。

 歴史上初めて、この近現代の民主政と資本システムの社会のみが、貧しい庶民に《際限のない欲望》を叶える現実的な可能性を垣間見させたのである。

 

【参考】

 「ある程度裏づけのある推測によれば、10万年前の世界人口は、アフリカの現生人類とユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて50万ほどしかいなかった。現生人類がユーラシア大陸に拡散した1万2000年前(氷河期の終わり)でも、その数は600万人程度だった。だが農業という技術イノベーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前1万年から西暦1年までのあいだに世界人口は100倍まで増加した(推定値は40~170倍)」(出典不詳)。

 

【参考】

 「狩猟採集社会でもジニ係数は高い ―― ジニ係数とは主に社会における所得の不平等さを測る指標である。ジニ係数がとる値の範囲は0から1で、係数の値が大きいほどその集団における格差が大きいという評価になる。

 カナダ、ブリティッシュ・コロンビアのインディアンでは、良質の漁場や狩場を支配する一族は、少し離れた場所に住む一族よりも多種類の食物をふんだんに貯蔵し、寝る場所も広く、料理や暖房に使う炉も大きかった。また、さまざまな牧畜社会を調査した人類学者によると、土地と家畜の保有から見たジニ係数は平均でも0.4から0.5とある程度高く、全体では0.3から07の範囲に広がっていた。不平等は何千年も前からあったのだ」。