断章460
太古の昔、人間(ヒト)は遊動しながらの狩猟採集を生業として暮らしていた。
およそ12,000年前、人間(ヒト)の暮らしに最初の大きな変化の波がやって来た。「定住」「農耕」である。「定住生活につづき、やがて定着集落(村落)が形成された。また、一箇所に留まることが可能となったことで余暇も生まれ、時間をかけて様々な物を製作できるようになり、石器も進化し、やがて土器も製作され始めた。
農耕・牧畜の開始により、それまでの狩猟・採集による獲得経済から安定した食料の生産を可能とする生産経済へと移行した(食料生産革命)。生産性の向上により人口が急増し、更なる生産力の向上につながり農耕・牧畜社会は拡大していった。
生産力の向上と余剰の蓄積により社会にゆとりが生まれ、交易を行なう行商や専門技術を担う職人が出てくるようになった。定住農耕社会は分業を促進させていくと共に階級が生じ、社会構造が複雑化することで文明となり、やがて国家や市場が誕生する」(Wikipedia)。
次に来た大きな変化の波は、18世紀から19世紀にかけてイギリスで始まった「産業革命」であり工業化である。「工業化により、それまでの農耕社会は産業社会へ移行する。社会の主な構成要素は、核家族、工場型の教育システム、企業である。アルビン・トフラーは次のように書いている。『第二の波の社会は産業社会であり、大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽、大量破壊兵器などに基づくものである。それらを標準化と中央集権、集中化、同期化などで結合し、官僚制と呼ばれる組織のスタイルで仕上げをする』」(Wikipedia)。
この産業社会とは、「資本制社会」であり、「資本制社会」という経済的社会構成の基礎は資本制生産様式であると“定義”したのが、マルクスである。産業革命(機械制大工業)と二重の意味で自由な労働者が生まれることが資本制生産様式の要件であると解いた。
「二重の意味で」とは、第一に、奴隷ではなく、(労働力の所有者として)自由に契約できる主体ということであり、第二に、生産手段をもたない (生産手段から自由な)主体ということである。
―― 世間一般に、あるいはリベラルたちから“資本主義”と呼び慣(な)らわされているものは、商品経済、あるいは単に金儲けのことだったりする。
労働者たちは、自由であるが無産であるから、長期失業や長患(ながわずら)いによって生計の道を断たれ、「明日のパンを買う金がない」という困窮に落ちる。世界(金融)恐慌や激しい社会的混乱(たとえば旧・ソ連崩壊後のロシアなど)は、きわめて多くの勤労大衆を、「明日のパンを買う金がない」という困窮に突き落す。溺れる者は、藁をもつかむ。赤色全体主義・黒色全体主義・カーキ色軍部軍事独裁などは、この困窮した勤労大衆の絶望・怒りをエサにして成長するのである。
逆に言えば、労働者たちは、無産であるが自由であるから、今や誰もが自由に他人と違うことができる。一般人が人類史上最も「成り上がり」「成功する」ことができる、資産家になることができる時代である(GAFAMの創業者たちを見よ)。
また、世界(金融)恐慌や激しい社会的混乱(たとえば旧・ソ連崩壊後のロシアなど)の時期は、古い技術、古い企業、旧態依然の生活スタイルが滅び、新しい技術、新しい企業、新発想の個人が活躍し始める時期でもある。
人間(ヒト)の普遍本質である「際限のない欲望」 ―― 自然と社会の歴史のなかで培(つちか)われた ―― を叶える可能性を庶民に最大限に示してみせたのは、これまでのところ資本制社会だけである。“資本主義”が危機のたびに起きあがる“不倒翁”であるのは、そのためである。