断章333

 「私たちはどこから来たのか。この気宇壮大な問いの魅力のわりには、ホモ・サピエンスが存在するようになった理由は驚くほど議論されていない。我々の種の起源をめぐる研究の大部分は、『なぜ』『どのように』ではなく、『いつ』『どこで』に焦点を当てている」(ランガム)。

 ここでは、「なぜ」「どのように」なのかを考え、絶滅したネアンデルタール人などと、生き延びたわたしたちの直接の祖先、ホモ・サピエンス(解剖学的現生人類)の運命を分けた謎を解き明かすために、橘 玲による『人類進化の謎を解き明かす』(ロビン・ダンバー2016)の紹介記事を一瞥しておこう。謎を解く鍵は、「社会脳」仮説と「時間収支(一日の時間のやりくり)」モデルである。

 

 ダンバーの「社会脳仮説とは、脳の機能の進化により現生人類がより大きな社会ネットワークを形成できるようになったという仮説である」。「時間収支モデルとは、1日24時間のうちで睡眠を除いた時間から、さまざまな工夫によって移動や摂食、休息時間を減らし、その分を毛繕(つくろ)いなどの社交に回した現生人類だけが絶滅を免れることができたという仮説である」。

 「何が現生人類とネアンデルタール人の運命を分けたのか」。

 「現生人類では前頭葉と側頭葉が大きくなったのに対して、ネアンデルタール人では感覚系と後頭葉が大きくなった。この結果、現生人類は社会的認知能力が大幅に増加し、維持できる共同体の規模は劇的に36パーセント増加した。・・・彼ら(ネアンデルタール人)の脳は全体から見れば不釣り合いなほど視覚に特化したために、社会認知にきわめて重要なはたらきをする脳の前方領域がおろそかになったのだろうか?」。「現生人類が気候(寒冷化の)ストレスの条件下でネアンデルタール人がたどった(絶滅という)運命を避けられたのは、おもにより大きく機能的な脳のおかげでより大きな交易ネットワークをもつとともに、文化的により創造的だったからかもしれない。ネアンデルタール人の共同体規模が同時代の現生人類のそれ(150人)よりかなり小さかった(ほぼ3分の2)のみならず、交易したり原材料を交換したりした距離が一桁小さかった。より広い地理的地域をカバーする大規模な社会ネットワークがあることによって、現生人類はネアンデルタール人には手の届かなかった友人の助けを借りることができ、局所的絶滅を免れたのかもしれない」。

 

 あるいは、「考古学者カーティス・マリアンによると、ホモ・サピエンスの3つの特徴が文化的技能の蓄積に役立った ―― 知能の高さ、高度な協調性、そして他者から学ぶ『社会的学習』能力が高いことだ。(中略)

 この能力の組み合わせは食糧生産の飛躍的な向上によるものだとマリアンは推測する。

 彼の考えでは、ホモ・サピエンスより前の人間は、チンパンジーのように小集団で散らばって暮らしていた。やがてある集団、可能性としてはアフリカ南部の海岸で暮らしていた集団が、狩猟採集の高い能力を身につけ、食糧供給がはるかに向上した。彼らは自然に数を増やし、やがて食べ物のために争いが生じ、集団同士が最良の土地をめぐって闘うようになった。戦闘での勝利が不可欠になったことから、集団と集団が同盟を結び、今日の狩猟採集民のような大集団が生まれた。各集団内で戦士たちが協力することは、勝利するうえできわめて重要だったので、それが人間の例外的な相互援助の基礎になって進化した。社会は複雑になり、学習はますます不可欠になり、文化は豊かになった」(ランガム2020)。