断章334

 現生人類(ホモ・サピエンス)はアフリカで20~30万年前に生まれ、6万年くらい前に本格的にアフリカを出たとされる。「アラビア半島沿岸部を伝って現在のイラン付近に至り、そこを起点に、インドから東南アジア、オセアニア方面にむかう『南ルート』、中央アジアを経由してアルタイ山脈、東アジア、北アジア方面に向かう『北ルート』、中東、ヨーロッパに向かう『西ルート』で世界に拡散した」(Wikipedia)。

 「『南ルート』の現生人類は、6万年前にオーストラリアへ渡ったと考えられ、オーストラリア北部で出土した6万年前の石器もこの事実を裏付ける。この場所に今でも残る神話が『創造主は海を越えて来た』という内容であることは大変興味深い」(出典不詳)。

 

 なぜアフリカを出たのか?

 冒険家であり人類学者の関野 吉春は、言う。

「私は人類の移動は獲物を追いかけているうちに起きたのではないかと考えていました。南米に到達した先住民は採集狩猟民でした。あの山を越えたら獲物や木の実があり、もっと豊かな生活ができるのではないかという向上心。山の向こうに何があるんだという好奇心。それらがあいまって最初は若者たちが様子を見に行く。いいところだと報告を受けると、じゃあ皆で移ろうと。そういう繰り返しだと思っていたのです」。

 「いろんな土地でいろんな人々を訪ねるうちに、それは違うのではないかと思うようになりました」。

 「もといた場所で人口が増えて食料が不足するなどし、誰かが出て行かなくてはならない状況になったのだと思います。南米大陸で人口圧が高まるとフエゴ島へ、さらに同様の事態がフエゴ島で起き、ナバリーノ島へと弱いひとたちが移っていった。こうしたことの繰り返しによって人類が世界中にひろがっていったのではないでしょうか」(『産経新聞』2019年の記事を抜粋・再構成)。

 

 今日でも、アフリカでは、多くの人が自国を逃げ出し難民となっている。2019年現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によるとアフリカの難民は2,421万人と推定され、世界最大規模の多さである(例えば、中央アフリカ共和国はアフリカの中でも紛争に苦しんでいる国の一つである。国内に14もの武装勢力が割拠しているという)。

 中南米からは、アメリカに向かう移民・難民の流れが続いている。近代のアメリカ移民も、自国では食えなくなったからだった。例えば、1845年頃のアイルランド飢饉では、アイルランド人口の少なくとも20%から25%が減少し、10%から20%が島外へ移住した。約100万人が餓死および病死し、主にアメリカやカナダへの移住を余儀なくされた。また結婚や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が、最盛期の半分にまで落ち込んだ」(Wikipedia)。

 移住・移民・難民の背景にあるのは、アフリカや中南米の人口増大圧力である。例えば、1989年~2019年に至る人口推計値を見ると、ニジェールは749万人から2,331万人へ。チャドは、553万人から1,595万人へ。前記の中央アフリカ共和国でさえも、295万人から474万人に増えているのである。