断章540

 デカブリストの乱から3年。

 「1828年、ふたりの少年がモスクワ市をみおろせる雀が丘の上に立っていた。眼下をまがりくねって流れるモスクワ川には小さな舟が浮かび、地平線にシルエットをみせている多数の教会の尖塔や円屋根は落陽にかがやいていた。木造の民家は夕もやのなかにかすんで、川原の雑草のかなたに没していた。

 少年のひとりは16歳で、アレクサンドル・イヴァーノヴィッチ・ゲルツェンといった。ひいでた額とかがやく大きな目をしている。もうひとりの少年はひとつ年下でニコライ・プラトノヴィッチ・オガリョフといい、高い鼻ときざみの深い二重のまぶたをもっていた。その服装からふたりとも貴族の子であることが、すぐわかった。

 このふたりは、ごく最近知り合った遠い親戚だ。ふたりを近づけたものは、お互いのよく似た環境であった。ゲルツェンは、父が母と正式の結婚をしていなかった。広い屋敷の1階と2階とに別居している父母は、和解しなくなってからながい。父の母にたいする態度、家のなかにいる奴隷にたいする態度、ともにゲルツェンは反感をもっていた。愛読しているシラーが、ゲルツェンに人間の尊厳をおしえていたからだ。

 オガリョフもまた父に憎悪に近い感情をもっていた。早く母を失ったオガリョフは、かつて父の農奴であり、いま土地の管理を託されている婦人の家にあずけられていた。この婦人は信心ぶかく教育もあった。フランス人やドイツ人の家庭教師が何人もついていたのは、ゲルツェンとおなじだった。オガリョフのいちばんいやなのは、大勢の面前で父が農奴を気に入らないといって、殴りつけることであった。

 ゲルツェンはオガリョフがシラーを読んでいるのを知って喜んでしまった。長いこと、そういう友だちをさがしていたのだった。さらにオガリョフが、印刷することを禁じられているプーシュキンやルイレーエフの詩をそらんじているのを知ったとき、ゲルツェンは歓喜してオガリョフを抱いたほどだった。わたしたちはデカブリストを知っているのだ。なぜデカブリストの貴族たちは処刑されたり、流刑になったりしたかを知っているのだ。そうだ、わたしたちは皇帝を頭にいただくロシアの専制政治に反対なのだ。ふたりの少年は、モスクワの街を見おろしながら、ふたりだけの誓いをたてた。『わたしたちの生命を、わたしたちの選んだ戦いのためにささげよう』。

 この日から雀が丘は、ふたりのための祈りの場所になった。一年に一、ニ度はきっとこの『神聖な丘』に行ってふたりは誓いをかためた。そしてふたりは生涯その誓いを破らなかった。ゲルツェンもオガリョフも、ロシアの革命のために、たたかい、流刑になり、亡命し、助け合いながら異国に死んだ。ゲルツェンもオガリョフも神を信じなかった。神を信じるかわりに革命を信じた。革命だけが地上に正義をもたらし、人類を救済するものであった。義によって革命のためにたたかうのは、知によって生きる知識人でなければならぬ。

 奴隷が鞭打たれることに胸をいため、女が売られることを恥じる精神の貴族、それが革命家だ。では、救われるべき人民はどこにいるのか。人民は眼下の薄暮にけむるモスクワの陋屋(ろうおく)にいる。モスクワをこえて、バルト海から太平洋に広がる広大な母なるロシアの上にいる。人民は、しいたげられ、鞭打たれながら黙って働いている。蛮族タタールの侵入以来の重荷を、その熊のような頑丈な両肩にささえて耐えている。人民は神を信じている。人民は皇帝を信じている。ふたりの少年が革命を信じるよりも深く信じている。酔ったときは獣のようになりはするが、その敬虔と忍耐とで、どの民族にも劣ることのないロシアの人民は、いつ神を信じることをやめて革命を信じるだろうか」(松田 道雄『世界の歴史22 ロシア革命』から引用)。

 

 ロシアは、ロシア国民にとって、「母なるルーシ」であり、「神々の土地」だという。

 皇帝ダース・プーチンへのロシア国民の“支持”を見ると、「母なるルーシ」(あるいは「神々の土地」)は、現代ロシアにおいても重要な意味を持ち続けているようだ ―― 欧米とは、「母なるルーシ」を傷つけ、「神々の土地」を穢(けが)す奴らだと、プロパガンダされている。

 「『母なるルーシ』とは、ロシアの歴史と文化の中で非常に重要な概念である。この概念は、古代ルーシ(キエフ・ルーシ)の時代にさかのぼる。

 当時のルーシ人は自分たちの祖国を『母なるルーシ』と呼び、彼らのアイデンティティ愛国心の中心として位置づけた。彼らは、祖国を育て、守り、繁栄させるために尽力し、それを称えることで自分たち自身の存在価値を高めることができた。19世紀には、民族主義者たちがこの概念を再解釈し、ロシア人の民族的アイデンティティと結びつけた」(ChatGpt)。

 

 「果てなき大地は 深く凍りつき 優しい土は もの言わず ただ雪を抱いて眠る ・・・やがて来る春は 誰も見たことのないような 素晴らしい春だろう 見渡す限りの 花咲く大地よ お前に託そう この愛」(『神々の土地』♪)