断章180

 「1939年11月30日、ソ連フィンランド攻撃を開始した。その数日前にフィンランドソ連の国境沿いの村を砲撃し、ソ連軍兵士が死亡した、というのがソ連が主張する開戦理由だった(ずっと後年、フルシチョフ首相は、この砲撃はソ連軍によるものだと認め、戦争誘発を目的としてソ連軍将軍が命令を下したと述べた)。こうして始まったのが冬戦争である。ソ連陸軍はありとあらゆる地点から国境を越えて侵攻し、ヘルシンキなどのフィンランドの都市は空爆された。(中略)

 ソ連軍が国境地帯のフィンランドの町を占領すると、スターリンは即座に傀儡(かいらい)政権『フィンランド民主共和国』を樹立させ、フィンランド人の共産主義指導者オットー・クーシネンを首班に据えた。ソ連にはフィンランドを侵略する意図はなく、『フィンランド民主共和国』の防衛を支援しているのだと主張した。この傀儡政権の樹立によって、スターリンの真の目標は祖国を併呑することであると、フィンランド全国民が確信した」(『危機と人類』ジャレド・ダイアモンド)。

 

 ちなみに、「スターリンの行った大粛清は、共産主義者の亡命フィンランド人たちに対しても容赦なく襲い掛かり、スパイ容疑や反革命派として逮捕、粛清された。クッレルボ・マンネル、ユラジョ・シロラ、エドバルド・ギュッリングなど、クーシネンと同期の主だったフィンランド人はすべて粛清された。クーシネンの妻アイノ・クーシネンも当局に逮捕されている。オットー・クーシネン自身は、粛清の対象から外れたため、フィンランド人からは祖国のみならず同胞・同志、そして妻までソ連に売り飛ばした裏切り者としてその名は一層の失墜を免れなかった」(Wikipedia)。

 ―- この経過は、「野坂 参三(ながらく日本共産党名誉議長を務めた)が、第二次大戦中にソ連コミンテルンに送った手紙で、ソ連に亡命していた日本人同志の山本懸蔵ら数名を秘密警察(NKVD)に讒言(ざんげん)密告し、山本はスターリンの大粛清の犠牲となったことを思い出させる。それは、ソ連崩壊後の公文書公開で明らかになり、調査の結果ソ連のスパイだったとして、日本共産党名誉議長を解任された。さらにその後の日本共産党中央委員会総会において、党からの除名処分が決定された」(Wikipediaを再構成)。

 

 ともあれ、ソ連軍との一連の戦争において、フィンランド軍は多大な犠牲(成人男子の5%近く)を払いながらソ連軍に大損害を与えて、終戦へ漕ぎ着けた。これにより、エストニアなどのバルト3国のようにソ連へ併合されたり、ソ連に占領された東欧諸国のように完全な衛星国化や社会主義化をされたりすることなく独立を維持したのである。

 「だが、国家の独立にこれだけの犠牲が必要だったのか? その答えは戦わずにソ連に屈したバルト3国の運命にみることができると梅本は指摘する。『1940年のソ連による併合から、1945年の終戦に至るまでに、死亡、流刑、亡命などでバルト3国から流出した人口は合計200万近くに達する(引用者注:元の人口も少ない)」(鹿島 茂)。

  誇りを失った人間は、生きながら死んでおり、誇りを失った国は、衰亡する。