断章516

 「よく準備した者だけが生き残る」(『機長の判断力』、2009)。

 

 「第一次大戦後に独立したフィンランドにとって、軍縮が図られ、国際連盟の保護が期待できた1920年代は平和であった。しかし、1930年代になるや、フィンランドの東西にはスターリンソ連ヒトラーナチス・ドイツが勃興し、不吉な暗雲が若い小さな国の東西の空を覆っていた。『小国にとっては、生きること自体が大変な問題である』と、誰かが言った。マンネルヘイムにとって、フィンランドが生きのびるということは、独裁専制全体主義の大国に挟まれた中で、自由民主の政治体制と民族の独自の文化を守っていくことであった」。

 

 「1934年に、ドイツでは総統ヒトラーが首相兼大統領に就任して国防軍の忠誠を確保し、義務兵役法を復活させて大国防軍の建設に歩み出した。一方、経済5ヵ年計画によって重工業国に脱皮した東の隣国ソ連では、スターリン赤軍の強大化・近代化を目指して着実に前進していた。1935年には、イタリア・ムッソリーニエチオピア侵略が起こったが、国際連盟は大国の理不尽な武力の前に崩壊する小国を見殺しにしてしまった」。

 

 「1939年9月、スターリンナチス・ドイツに加担し、ポーランドの東半分を侵略し、続いてヒトラーとの密約の下でバルチック海沿岸の諸国に軍事基地の設置を進めた。ソビエトは明瞭に自由の敵であった」。

 

 「ソ連は、フィンランドと1932年に不可侵条約を締結し、両国間の国境を保証していた。ところが、1939年11月28日、ソ連政府はフィンランドのカレリア地峡上のマイニラ砲台がソビエトの領土内を砲撃したと報じ、1932年に締結した不可侵条約を一方的に廃棄することを通告してきた。そして、11月30日、ソ連軍は全国境線にわたってフィンランド領内に侵入を開始した。『冬戦争』が始まった」。

 

 「緒戦は、明瞭にフィンランド軍の勝利であった。

 これを戦術的に見ると、有名な戦史家のリデル・ハートは、木靴を履いた大男が運動靴を履いた相手に組み打ちを挑んだようなものだと評している。事実、重装備のソ連軍の長く伸びた大縦隊が、道路も不備な未開の土地で行き悩んでいるところを、身軽で地形と地理に精通し小部隊の独立戦闘に慣熟したフィンランドの歩兵に分断され、袋叩きにされる戦況が多かった。平時からフィンランド陸軍が、その独特の戦法として訓練していた『モッチ戦法』(小部隊が敵の大部隊を待ち伏せする一種のゲリラ戦法)の勝利ともいえた。

 スターリンは、フィンランドコミュニストの地下組織からの報告を過信し、戦争さえ始めればフィンランド国内には革命勢力が蜂起するものと誤算した。スターリンが、準備不十分のまま兵力を分散した全面同時攻勢を企図したのは、この誤算に基づく戦略的な失敗であった」(上記すべて、『グスタフ・マンネルヘイム』、1992を抜粋・再構成したもの)。