断章515

 「足元に踏みしめる大地のみならず、岸辺を洗う湖水のみならず、頭上にざわめく大空もわが祖国である」(カール・マンネルヘイム)。

 ちなみに、わが日本のガラパゴス化した言論界に棲息(せいそく)する「自称」知識人やリベラルの仮面をかぶったコミュニストたちは、「祖国」や「愛国心」と聞けばおおげさに肩をすくめる。あいかわらず、“世界共和国”や“地球市民”の“バラ色おとぎ話”がお好きなようである。しかし、「ならず者国家」は、“世界共和国”や“地球市民”の“お花畑”をふりまく者たちによる「愛国心」や「国防意識」の弛緩(しかん)や油断を喜んで利用するのである。

 

 わたしたちが“世界共和国”や“地球市民”を課題にできるのは、世界の主だった国々が、国境を撤廃し、通貨の自主権を放棄し、労働力の完全な国際移動の自由が実現し、グロービッシュからさらに進んだ諸言語の統一(あるいは小型軽量の完全自動翻訳機の完成と世界的普及)、主だった国々の生活水準が収斂(しゅうれん)し、文化・価値観の相互理解が進捗した後、つまりまだ遠い未来のことである。

 今も世界には一日100円以下で暮らしている人が、あふれるほど沢山いる。彼らはより良い生活を望んでいるし、それを享受するに値する。だがそれは、先進国からの“施(ほどこ)し”によってではない。

 豊かさに至る最速の経済エンジンは資本主義(資本制生産様式)である。資本は、紆余曲折があろうとも、アフリカ・中近東・中南米にある部族主義・宗教的偏見・反米左翼イデオロギーなどの牢固(ろうこ)な壁を打ち砕き成長するだろう。それが、アフリカ・中近東・中南米の21世紀の課題である。