断章182

 「俗語としての出羽守(でわのかみ)は、他者の例を引き合いに出して物事を語る人のことである。ではの神という表現も存在する。特に、海外と比較して日本を揶揄(やゆ)する人を『海外出羽守』と呼ぶ。

 出羽守とは本来、出羽国国司を表す役職であるが、国名の『出羽(でわ)』と、『海外では』のような連語の『では』を掛けて、主に揶揄を込めて使われる。また、『守』という字から、『偉そうに上から物を言う』というニュアンスも込められている。

 ネットニュース編集者の中川淳一郎によると、欧米の人権意識の高さや崇高な行動を称賛する人々のことであるとし、称賛の対象とする国は北欧諸国を筆頭に、フランスやドイツなどの西欧諸国や、アメリカ人の中でも特に民主党を支持する人、また中国や韓国を挙げているが、一方で、東南アジアや中東、南米、アフリカの国は対象外となりやすい。

 また、(引用者注:出羽守は)、『日本人による差別』しか問題にせず、外国における差別は悪い差別ではないという意識があり、韓国・済州島に不法滞在していたイエメン難民への差別的言動や、ドイツでのアラブ系の男による集団レイプ事件をスルーし、こうした事態に目を瞑(つむ)らなければ自身のこれまでの主張がすべて覆されると考えている、という」(Wikipedia)。

 

 上記でいう「出羽守」の匂いがした。そして、アマゾンには、「権威主義国家主義など左翼による日本批判の常套句を強引に日本の教育制度に結びつけた日本叩きのバイブル。そもそも500万人ほどの小国で尚且つ4割が職業学校に進学するフィンランドに於いて極少数のエリートの学力平均値を採ったら高くなるのは当たり前。同様にPISA上位常連で一都市に過ぎない上海(2400万人)と比べても圧倒的に少ない。そもそも制度論として日本と比較する以前の問題。更にこの人は民俗学を専攻している割に文化に対する分析がデータもなければ印象操作も酷くて余りにも拙い。そもそも多様化が進む現代に於いて自由vs規律のような単純な二項対立は存在せずどちらをデフォルトにすべきかは善悪というよりも文化的背景に基づく任意なものである。学者の文章というよりPTAが大嫌いなおばさんの井戸端会議を文字に起こした感じの文章だった」というレビューもある。

 

 だとしても、中卒者や高卒者の「学び直し」という、わたしの関心にふれるところがあったので、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書817)から一部を紹介する。

 

 「フィンランドは、2000年代以降、PISA (15歳児童の学習到達度国際比較)で、読解力や科学的リテラシーなどの多分野において1位を獲得。(中略)

 私が体験したフィンランドの教育の良さは、何よりもそのシンプルさにある。入学式や始業式、終業式、運動会などの学校行事がない。授業時間は少なく、学力テストも受験も塾も偏差値もない。統一テストは、高校卒業時だけだ。服装や髪型に関する校則も制服もない。部活も教員の長時間労働もない。

 そうしたシンプルな教育を支えるのは、徹底した教育無償化と平等、子供の権利やウェルビーイングフィンランドでは生きていく上での快適さ、満足感、充足感、安心、自信、健康など、幅広い意味を持つ)、子供たち自身の教育への参加などの理念である。

 小学校から大学に至るまで教育費は無償なので、経済的、精神的にとても楽だ。小中学校では、教科書やノート、教材等も無償で支給される。学級費やその他、諸費用は無い。給食も、保育園から高校まで無料である。

 入学に際して、ランドセルや新しい服など高価な買い物は必要ない。教科書や教材は学校に置いていくので、小さな子供が、毎日重いカバンを背に通学する必要はない。持ち物すべてに名前を書く必要もない。学校と保護者の間の連絡や情報交換には、メールシステムが使われ、学校からの手紙やプリント類はほとんどない。

 教育が無償であることに加え、国が17歳以上の人に給付型奨学金、学習ローン、家賃補助からなる学習支援を行う。この中で返済の必要があるのは学習ローンだが、保証人は国なので、親や親族が保証人になる必要はない。

 フィンランドでは、教育の無償と平等が強調される。人は、決して平等には生まれてこないし、平等は実現することのない理想かもしれない。しかし、だからこそ、国が平等で無償の教育を提供する。貧富、性別、宗教、年齢、居住地、民族、性的指向等の違いによって差別されることのない、等しい出発点をひとりひとりに保証する。そうした違いのために教育を受けられなかったり、断念したり、差別されたりすることがないよう、教育の平等を保障、ひとりひとりの充足度を高めていくことが出発点である。(中略)

 フィンランドに受験はなく、受験のための勉強もない。中学卒業後は、高校と職業学校に進路が分かれ、普通、18歳で卒業する。また、18歳で成人になり、大人として人生を出発していく。卒業後、進学する場合は、大学と応用科学大学がある。その2つの違いは、大学がより学問的、理論的なことを学ぶのに対し、応用科学大学はより実際的、実学的なことを学ぶことである。(中略)

 フィンランドには、様々な教育機関が安価で用意されていて、いくつになっても学んだり、学び直したりすることができる。学校に行くことや学習を辞めてしまった過去があったとしても、再び学びたいと思えば、いつでもそれが可能となる教育機関がある」。

 ―― なお、フンランドには、兵役義務があり、消費税率は一般的には24%であり、2017年当時の失業率は8.6%である。

 

【参考】

 「日本では人と違った意見や行動が社会的に抑圧されがちなのに対して、アメリカでは個人が独自の意見をためらわずに表明する。日本はアメリカを見習って、変わらなければならない ―――。

 こうした『日本=出る杭は打たれる』式の主張が昔から繰り返されている。しかし、いろいろな国や地域の大学で教えてきた僕の経験からして、この手のステレオタイプは相当に疑わしい。

 確かにアメリカは個人主義的でユニークな自己表現が受け入れられる土地柄だが、実際は、うまくやろうとしすぎるあまり、もしくは失敗を恐れるあまりに、まわりに合わせることを選ぶ人が圧倒的に多いという。

 要するに、コンフォーミティの圧力が強く働くのは国や地域を越えて人間社会の常なのだ。本性は時間を越えて変わらないだけでなく、空間的にも実際はそれほど変わらない。つまりは人間という生き物の性(さが)なのである」(楠木 建)。