断章456

 つらつら世界を見、社会を考えるに、“資本主義”の避けがたい矛盾は次第につのり、インフレ、景気後退、失業、環境破壊および富の偏在の結果、政治的経済的な大混乱・大激動が、間もなく、わたしたちを直撃しそうである。

 「今日は来ないが明日は来るであろう」世界金融恐慌あるいは世界スタグフレーションが引き起こす“津波”は、紅色全体主義(代表・中国)やカーキ軍事独裁(代表・ビルマ)を強くし、ポピュリズム、さらには黒色全体主義を台頭させて、各国で内乱的激突が頻発するかもしれない。

 

 それでも、わたしは、「世界史的にいえば、“資本主義”はまだ成長過程にあり、かつ『復元力』を備えている」という主張を変更しない。というのは、産業恐慌、戦争、スターリン主義、金融恐慌、ファシズム、テロ、内戦の19世紀・20世紀の大混乱・大激動を見、かつ経験してきたからである。

 わたしたち日本でも、最上川イカダで下った「おしん」たちが(中には、たとえば「サンダカン八番娼館」で亡くなった女性もいただろう)、やがては繁栄と共に失ってしまったものを回顧するほどには、豊かになったのである(わたし個人にしても、共同トイレ・共同炊事の四畳半貸間暮らしから、水洗トイレの戸建ての主になった)。

 

 インフレ、景気後退、失業、および富の偏在を繰り返す“資本主義”。それを見ては、日本共産党反日共系セクト(同じコインの裏面である)や「左翼」インテリたちは、「疎外だ」、「搾取だ」、「革命を」と叫んできたのであるが、“資本主義”は気にもかけずに「復元力」を見せつけた。

 なぜなら、「一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化(ふか)しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない」からである。

 ひょっとして、インフレ、景気後退、失業、環境破壊および富の偏在などは、“資本主義”の思春期症候群(思春期の惑乱)ではないだろうか? なにしろ、「青春時代のまん中は 胸にとげさすことばかり♪」(森田 公一とトップギャラン)なのだから ―― 「青春」は、少年期~青年期手前の13歳~20代前半頃を指します。年齢については、14~16歳から始まったり30歳頃までを含めたりする説もあり、厳密な定義はないようです。

 

 戦後の栄養と医療の改善によって日本人の寿命は、おおきく伸びた。“資本主義”は、来たるべき政治的経済的な大混乱・大激動の後、学びを通じて世界と社会を少し改善して力強い壮年期を迎えるのかもしれない。