断章480

 「資本主義の歴史をしっかりと見、さらに、資本主義的でなかったか、あるいはほとんどそうでなかった過去何百年もの間の生活について何ほどか知る者であれば、世界の大部分(すべてではないとしても)で、とくに富裕な上層には属さない多くの人々のもとで実現された物的生活条件の改善、貧困の克服、寿命の延びと健康の増進、選択肢の拡大、そして自由の巨大な進歩に強い印象を受けざるをえないだろう。このような進歩は、振り返ってみれば、事態をつねに揺り動かし、前に進め、物事の姿を変える資本主義特有の力なしでは起こらなかったと言えるだろう。知識の増大や技術変化、あるいは工業化のような他の説明要因を進歩の原動力としてむしろあげる者は、長期にわたって成功した工業化が、これまでのところどこでも資本主義を前提としていたことを想起すべきである」。

 「経済外的強制(暴力的支配)からの自由が、資本主義的発展の過程においても徐々にしか実現されず、周知の通り、19~20世紀の繰り返しの恐慌と戦争によって中断され、かつ諸戦争や独裁のなかで大量の強制労働によって繰り返し逆転されてきたとしても、世界の大部分で工業化の進展とともに労働・生活条件の改善は次第に進んだ。この点は見逃すべきではない」(ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史』を再構成)。

 たとえば、わたし個人を見てもそうだ。かつて東京から田舎に帰るのは、夜行列車だった。寝台列車ではない。固い座席に座って窓枠にもたれたり、床に新聞紙を広げてその上で寝ていた。朝になると通勤通学の人たちが乗車してくる夜行列車だった。今は、新幹線を利用できる。

 

 現代資本制社会での無産の賃労働者の生活は、本質的に不安定なものだ。しかし、資本制社会以前の奴隷制社会や封建制社会での厳しい身分制・カーストの軛(くびき)に縛られた、奴隷や僕婢、農奴年季奉公人、ギルドの手工業職人と比べれば、大きな“可能性”を手にしたとも言える。

 たとえば、わたし個人がそうだ。炎天下で作業着の背中を汗で濡らす肉体労働をしていた ―― 終業時には、作業着に汗の塩分が白く浮き、身体全体から酸っぱい匂いがした。その後も大病をしたり、歩合給の飛び込み営業をしたり、色々あった後に、国民金融公庫から創業資金を借りて商売人になった。時流に乗って浮かび上がるや、遊び回って散財し(だって、ワクワクしたいから)、商売は傾いて、また貧乏人に逆戻り(笑い)。

 

 血縁、地縁、身分、地域共同体といったつながりから自由になり、誰もが実力によって成功できる社会になった。同時に、孤独と不安を抱えながら競争社会で戦い続けることにもなった。

 だからこそ、「ふきすさぶ 北風に とばされぬよう とばぬよう こごえた両手に 息をふきかけて しばれた体を あたためて 生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ♪」(松山 千春)ということなのだ。