断章62

 吉村 貫一郎は、南部藩・下級武士としての極貧生活のなかでも、「こったに美しい故郷に生まれ育ったわシは 貧乏なぞ 口にスては ならね」「剣をみがき 学問を修め 志を持ち 南部の もののふとして 忠義に 生きよう」と思い定めていた。だが足軽の身では、どれほど剣を磨き勉学に励んでも、家族の生活を守ることはできなかった。大罪である脱藩をし、己の義を貫いて死んだ。

 

 『しんぶん赤旗』によれば、「日韓関係の深刻な悪化を憂慮する元政府代表や学者、弁護士らが、日本政府による韓国政府との冷静な対話を求めた声明『韓国は“敵”なのか』(7月25日発表)の世話人一同は8月16日、声明の賛同署名が第1次募集締め切りの15日までに8404となったとウェブ上で発表」したそうである。

 

 この「声明」が、韓国について全く不勉強で無知なものであることは明らかである。

 だが、この「声明」の中心人物たちは、そんなことは百も承知の確信犯である。

 というのは、この中心人物たちは、かつて日本が社会主義になる未来を夢見ていたインテリたちで、共産党が権力を握れば、自分たちが共産党に協力する存在として、政治的にも経済的にも特権を享受できることを夢見て、一所懸命働いていた連中である。

 「いまだに精神構造のあらゆるレベルにマルクス主義から出る気分が浸透している人たち」である。彼らは「“日本国家をなんとかして恥ずかしめ、弱体化させたい、日本人に誇りを失わせたい”という気持ちに駆られて」(岡田 英弘)行動している。

 だから、彼らは、「日本国家をなんとかして恥ずかしめ、弱体化させたい、日本人に誇りを失わせたい」韓国とタッグを組むのである。

 

 その他の賛同者は、「人権」とか「人道」とか「植民地支配」と聞いただけで思考が停止して、各主権国家が生存を賭けて争闘している世界の真実を見ることのできないナイーブすぎる人たちである。

 すでに、「韓国は被害者、日本はダーティーな犯罪者」という韓国の一貫した「反日プロパガンダに汚染されているのだ。解毒剤は、韓国をもっと知ることである。

 

 平林 たい子のように、「とかくメダカは群れたがる」と一突きして済む話なのだろうが、あいにくまだ悟りを開いていないので、一言しておこう。

 

 いつものワンパターンの「声明」である。

 機動隊が警棒を振りかざして突進してきても、「生きて生き抜き、闘って闘い抜く」「逮捕を恐れず、失業を恐れず、離婚を恐れず、死をも恐れず」と思い定め、怯むことなく向かっていったオオカミたちは、皆もう死んでしまった。

 機動隊が警棒を振りかざして突進してきたら、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った共産党のオウムたちと根性無しのウサギたちが、昔ながらの無駄口をたたいているだけだ。

 「アべがー、民主主義を壊している、隣国を敵扱いしている」と思うなら、本気の戦いをしてみるがいい。「ここがロドス島だ。ここで跳んでみろ」。

 

【参考】

 「朝鮮の歴代王朝の公用語は漢文だった。朝鮮語の読みでテニヲハ程度のものは付けていたが、おおもとは漢文を音読して使っていた。もちろん、公用語が漢文だからといって、朝鮮語のもとになったアルタイ語が存在しなかったと言っているのではない。民衆の大多数は漢語ができず、彼らの言葉には文字がなかった。話し言葉としての朝鮮語は語彙も少なく、独立した言葉とは認められていなかったのである。

 それが、15世紀になってハングルがつくられ、初めて朝鮮語を音で表記できるようになった。ただし、これは女子供の言葉で、堂々たる大人の使うものではなかった。20世紀に入って日本に併合されてからは、近代化の言葉は日本語になった。朝鮮語はやはり家庭内だけの言葉で、おおやけの場では日本語が使われ、人々は日本語で考えるしかなかった。このため、1945年、日本が引き揚げるとパニック状態になった。朝鮮語は近代の事物を表現する語彙も文体も持っていなかったからである。

 その結果、朝鮮語が逆にいっぺんに日本語化した。日本語で考え、それを逐語訳するという手順を踏んで、現代韓国語が成立したわけで、それ以来、韓国語はほとんど日本語の方言と言ってもいいものになってしまった。そのことが韓国人の日本人に対する憎しみの基礎にある」(『岡田 英弘 著作集』第6巻)。