断章201

 映画、邦題『1916 自由をかけた戦い』(2019年、ポーランド製作)のDVDを観た。

 

 DVDケースの表には、「〈祖国〉を取り戻せ」とあるから、映画『1917』と間違うはずはないのだが、「Filmarks 映画」の評価欄には、『1917』と間違って借りた人がちらほら見受けられる。

 「Filmarks 映画」での評価は、概ね好意的である。

 例えば、「約120年余もの間、ドイツ・オーストリア・ロシアに分割されて尚、独立をあきらめなかったポーランド。1916年、ロシアからの独立を求めて戦ったポーランド軍を描く。(中略)

 敗戦して以来、アメリカ・中国・韓国らによって愛国心を持たせないように教育されてきた日本も見習うべき映画かもしれない。

 物凄く愛国心が強いポーランド。120年余も国が無くなっていたら、ポーランド人としての心も失っていそうなのに独立心や誇りを忘れないのは素直に凄いと思う」とある。

 

 本作は、ポーランド独立のための助走だった戦争を扱う映画である。しかし、エンドの“献辞”には、「1918年のポーランド独立運動1920年ボリシェビキ侵略で勇敢に戦ったポーランドの兵士たちに」(ポーランド語の和訳として)とある。

 わたしたちは、「ロシア革命」に対する干渉戦争の一環だったと、1920年の「ポーランドソ連ボリシェビキ)戦争」を教えられたものだ。しかし、ポーランドの側に立ってみれば、 “ボリシェビキ侵略”だったのだ。

 

 そのことは、ポーランドソ連の代表により調印された「ソ連ポーランド不可侵条約」の帰結(1939年にソ連ポーランド侵攻により一方的に破棄された)と、それに続く「カティンの森の虐殺」(ソ連のグニェズドヴォ近郊の森でポーランド軍将校や一般官吏など約2万2千人がソヴェト内務人民委員部(NKVD)によって銃殺され、穴に埋められた)をみれば、明らかではないだろうか。―― 「2008年、ロシアのプーチン首相はポーランドのトゥスク首相と会談し、事件が『スターリンの犯罪』であるということで一致した。さらに2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃ってひざまずき、さらに事件を『正当化できない全体主義による残虐行為』とソ連の責任を認めた。ただし、『ロシア国民に罪を被せるのは間違っていると主張』し、謝罪はしなかった」(Wikipedia)。

 

 赤軍ボリシェビキ)のコミッサール(政治委員)の出てくる映画(タイトル失念)をみたことがあるが、尊大で残酷で嫌味な奴に描かれていた。赤軍は、美しい理念をプロパガンダしていたが、赤軍幹部たちのメンタリティ(心の在り方)は帝政ロシアの官僚と同じだったのかもしれない。

 

 ―― 別の話。

 わたしは、商売を始めてからは、読書をしなかった(できなかった)。およそ四半世紀の間、商売に関係するものを除く、新書・単行本のたぐいがまったく読めなかった。晩酌をしながら、TV、あるいはツタヤで借りたDVDを見て寝るだけの暮らしだった。とどのつまり、多少は「地に足がついた」けれども、“ロジカル”な読解力、洞察力、表現力とは無縁になってしまった。シマッタ。

 なので、仕事で疲れていると硬い本を読めなくなる ―― たしかに、読まなくてもさしつかえのない空疎なリベラル本も多い ―― のだが、たまには硬い本も読みましょう。