断章220

 「1990年代以降、世界では、『グローバル化』とか『グローバル経済の時代』という言葉が何らかの願望や期待も込めて頻用されていますが、現在も、国家と国境は厳然として存在し、いかに『自由貿易』の掛け声を叫んでも、関税は原則として廃止されていません。通商政策も通貨政策も各国がその主権を保持しています。したがって、わたしたちは、いまでもなお、『国民経済』という言説・政策・認識枠組みの中に生きているのだということができます。

 とはいえ、この一国的な認識方法のみを過度に強調し、重用するなら、近代の市場経済・資本主義が世界体制という形をとって確立したことの意味を見失うことになります。

 欧米諸国の四方八方への進出によって、暴力や軍事力もともないながら、世界が一つの資本主義体制ヘとまとめ上げられる動きは、19世紀中葉に日本の開港と自由貿易体制への編入によって完成しました。

 資本主義の世界体制は、1870年代以降は、地理的な拡張はほぼ一段落して、次に内的に深化する傾向を見せます。(中略)

 1873年以降のいわゆる『大不況』期(ヨーロッパ大陸諸国の産業革命と鉄道建設が一段落したことにともなって発生した相対的な低成長期)、殊に1879年恐慌以降になると、大陸諸国では再び関税を引き上げて、『保護主義』に回帰する動きも見られ、報復的に相手国も関税を引き上げるなど『関税戦争』ともいうべき事態も始まりましたが、関税率はアメリカ合衆国などの禁止的な保護関税政策をとる国と比べれば概してはるかに低く、また二国間条約で維持された最恵国待遇条項が網の目のように主要国を包み込んでいたため、保護主義への回帰と関税戦争はヨーロッパ内の貿易・資本移動・移民を減少させる効果はなく、ヨーロッパ諸国を中心として世界はますます深く、貿易と資本移動と移民とで相互に結びつくようになり、また、そうした条件のもとで、1890年代以降の大不況からの回復過程での着実な経済成長が可能となりました。こうして19世紀末から第一次世界大戦開戦(1914年)までの四半世紀の世界経済を、第一のグローバル経済と呼ぶこともあります。

 この第一のグローバル経済は、1990年代以降、わたしたちが見てきた第二のグローバル経済に比べるなら、はるかに安定的で(国際金本位制によって貨幣価値も為替相場も高度に安定していて)、循環的で(多角的決済システムによって、特定の国に赤字・黒字が溜まるのではなく、三国以上の間で赤字・黒字が循環的に相殺されて)、総じて円滑かつ円満な世界経済のあり方でした。むろん、それが、帝国主義国による植民地支配という負の側面を帯びていたことを見落とすわけにはいきませんが、この第一のグローバル経済の時期は、植民地・半植民地も含めて、世界全体が着実に経済発展した時代でもあります」(小野塚 知二『経済史』を抜粋・再構成)。

 

 ―― 戦後日本の学生運動が高揚した時代は、日本の高度経済成長の時代でもあった。それはまるで、1848年『共産党宣言』から1871年パリ・コミューンへと高揚した時代が、19世紀の欧米の経済成長の時代でもあったことと同じである。