断章233

 「われわれは裸で生まれ、また裸で死んで行く」という“法話”がある。

 しかし、生まれてくるときに、金のスプーンを咥(くわ)えて生まれる児もいれば、粗末な木の匙(さじ)を咥えた児もいる。また、死に際しても、痒(かゆ)い所に手が届くケアを受けつつ死ぬ老人もいれば、貸間に詰め込まれて“生活保護費”を掠め取られながら死んでいく下流老人もいる。そもそも、こんな“法話”をする僧侶からして、拝観料でガッポリ稼いで高級外車に乗る観光寺院の僧侶もいれば、檀家が激減した寒村でやっとのことで古い軽四を維持している女僧侶(男の僧侶はみんな都会に去った)にと、格差拡大・大分断なのである。

 

 今日も今日とて、高級ホテルにある「なだ万」に、マダムがお二人、ランチをしようとご来駕なさいました。ホールスタッフの案内でいつものお席に着座されると、すぐにフロアマネジャーがやってきた。「奥様。申し訳ございません。実は、いつものマグロが、海が荒れて市場に入荷しておりませんので、今日はお出しできないのですが」と、腰をかがめて言うのであった。「しょうがないわね(韓流ドラマなら、チッと舌打ちする場面である)。じゃあ、今日は、天婦羅御膳をいただくわ(注:税サ込で7,623円である)」と、年かさのマダムがおっしゃった。

 

 片や、今日も今日とて、コンビニの駐車場に停めた車の運転席で、会社員がレン・チンした「チャーハン弁当」(398円)をかき込んでいる。

 そして、わたしの今日の昼食メニューは、1個88円の半玉キャベツの三分の一を塩・胡椒で炒めて茶碗飯に乗せたキャベツ丼と、ゆでたワンタンメン(5袋で298円)である。半熟の目玉焼きを乗せると完璧だが、予算オーバーで断念である。

 

 作家の橘 玲は、11月19日の『ZAI』オンラインに、「アメリカの極端な経済格差は持続不可能だが、超富裕層の資産に高率の課税をすれば、多くの社会問題が解決する」と主張する『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』(光文社)の紹介記事を書いている。

 

 「雑誌『フォーブス』によると、資産10億ドル(約1000億円)以上のビリオネアがアメリカには705人もいる(2019年)。その一方で、国民の半分ちかくがその日暮らしの生活をしている。この極端な経済格差は新型コロナでさらに広がっているとされるが、こんな異常な状況が長く維持できるとは思えない(持続可能性がない)。

 だったらどうすれいいのだろうか。今回はエマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマンの『つくられた格差 不公平税制が生んだ所得の不平等』(光文社)から『富裕税』という興味深い提案を見てみたい。(中略)

 サエズとズックマンは冒頭で、2016年9月26日に行なわれたヒラリー・クリントンドナルド・トランプの大統領候補テレビ討論会を取り上げる。トランプが納税申告書の公開を拒否していることについて、『カジノのライセンスを申請したときに提出した納税申告書しか公開されていませんが、それを見るかぎり、彼は連邦所得税を1銭も払っていません』とクリントンが批判した。するとトランプはほこらしげにそれを認め、『それは私が賢いからだ』と返したという。

 著者たちは、これが『不公平税制の勝利の瞬間』だという。もはやアメリカでは、税金を払わないことが誇るべきアピールになったのだ。その結果、いったいなにが起きたのか。アメリカの経済格差についてはすでの多くの報告があるが、その驚くべき実態をかんたんにまとめておこう。(中略)

 1) 労働者階級(成人の1億2000万人)の平均所得は1万8500ドル(約190万円)。著者たちが強調するようにこれは計算間違いではなく、1億人を超えるアメリカの成人が年収200万円程度の生活をしている。

 2) 中流階級(9600万人)の平均所得は7万5000ドル(約750万円)。これは日本のサラリーマンの平均収入(平均441万円/2018年)より7割も多く、アメリカの中間層は『世界的に見ればいまだ裕福なひとびと』だ。この層の収入は1980年以来、年1.1%の割合で増加している。微々たるものに思えるが、これでも70年ごとに所得は倍増し、孫世代が祖父母世代の2倍稼ぐことになる。アメリカの中流階級の子どもたちは親のゆたかさを超えられないかもしれないが、祖父母は超えられるのだ。

 3) 上位中流階級(2200万人)の平均所得は22万ドル(約2200万円)。アメリカの典型的な富裕層で、郊外に広々として家を所有し、子どもたちを学費のかかる私立学校に通わせ、十分な年金を積み立て、保証が手厚い医療保険に入っている。

 4) 上位1%(240万人の富豪たち)の年間平均所得は150万ドル(約1億5000万円)。その頂点にいるのがジェフ・ベゾス(資産13兆円)、ビル・ゲイツ(10兆円)、ウォーレン・バフェット(8兆円)などの超富裕層だ。

 この所得分布からわかるのは、『現在のアメリカ経済において憂慮すべき問題は、中流階級が消失しつつある点にあるのではなく、労働者階級が驚くほど少ない所得しか受け取っていない点にある』ことだ。

 著者たちは、こうした極端な経済格差はアメリカに特有な現象だという。1980年当時、上位1%の所得が国民所得に占める割合は、アメリカでも西欧諸国でも10%程度だった。現在、西欧諸国では上位1%の所得の割合は12%に増加したにすぎないが、アメリカは20%にもなった。同時に、下位50%の所得の割合はアメリカが12%に減ったのに対し、西欧諸国では24%から22%になったにすぎない。『高所得民主主義国のなかで、アメリカほど格差が拡大している国はない』のだ。

 なぜこんなことになるのか。ひとつは、給与税(社会保険料)や消費税(売上税)など逆進的な税制によって所得の少ないアメリカ人に過酷な税負担が課されていること。もうひとつは、アメリカの富裕層が税金を払っていないことだ。アメリカのほとんどの社会階層が、給与税や消費税を含め所得の25~30%を税金として国庫に納めているが、超富裕層だけは例外的に20%ほどしか払っていない。―─これは日本も同じで、合計所得金額1億円までは累進的に所得税の負担率が上がり30%程度になるが、それ以降は下がりはじめ50億円を超えるあたりから20%以下になる(関口智立教大教授『資産課税の累進性高めよ』日本経済新聞2019年11月17日)。

 フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグの資産の大半は配当しないフェイスブック株で、含み益には課税されない。その結果、税を徴収できるのはフェイスブック法人税だけになるが、それも〈タックスヘイヴン〉を使った租税回避で消えてしまう。

 『合法的税圧縮』の手法を税の専門家たちがグローバル企業や富裕層に広めたことで、アメリカは法人税や資本課税の大幅な引き下げを余儀なくされた。高い税率のままだと、ますます租税回避が進むだけだからだ。〈タックスヘイヴン〉の存在によって世界各国は税率の引き下げ競争に巻き込まれ、『資本への課税はますます減り、労働への課税はますます増える』悪循環に陥ってしまったのだ。(中略)

 提案されるのが『富裕層への課税強化』だ。・・・もちろん法人税や富裕層への税率を大幅に上げれば、資金は〈タックスヘイヴン〉に逃げてしまうだろう。したがってこれは、国際社会が租税回避を完全に封じることが前提になる ―― 引用者注:この後、著者たちの租税回避を完全に封じ、どこにも逃げ場がなくなった状況での“行動プラン”が説明されるが、実現可能とは思えない。興味のある方は『ZAI』オンラインか原著を参照してほしい。(中略)

 保育への公的支援が貧弱なアメリカでは、託児所の年間費用が幼児1人あたり2万ドルに及ぶケースもざらにある。アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親に比べて平均31%も減少するが、これは「事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているのに等しい」。アメリカは国民皆保険でないため、民間医療保険の保険料が「民間の税金」となり、もはや人頭税と化している。医療保険の年間平均保険料は労働者1人あたり1万3000ドル(約130万円)で、あまりに高すぎて成人のおよそ14%が無保険のままだ。

 北欧などヨーロッパのリベラルな国々はどこも高率の消費税で社会保障を賄っているが、消費税には逆進性があるため、それによってさらに格差を拡大させてしまう。それにもかかわらずなぜ消費税の税率だけが上がっていくのかというと、個人所得税法人税、資本課税の引き上げが租税回避の誘因になってしまうからだ。

 だが誰もが『同額の所得には同額の税金を支払う(租税回避の逃げ場がない)理想世界』では、もはや効率の悪い消費税に依存する理由はない。消費税を廃止して、国民所得(労働所得+企業利益+利子所得)に6%の均等税(国民所得税)を課して基礎税収を確保したうえで、富裕層課税で国民所得のおよそ10%分に相当する税収を確保すれば、国民全員に医療や育児を提供できるし、公立大学への助成金の増加などにより、高等教育を受ける機会も均等化できるという。(中略)

 民主的な社会では、市民(有権者)の95%が得をする提案が受け入れられる可能性はじゅうぶんにあるだろう。国家がさらに財政支出を拡張できるというMMT(現代貨幣理論)が話題になっているが、政府の借金が増えればひとびとは『国家破産』を恐れてお金を使わなくなるだろう。それを考えると、財政を悪化させずに95%の国民の可処分所得が増える富裕層課税のほうが、これからの“左派ポピュリズム”の主流になっていくのではないだろうか」。

 

 わたしは、日本の未来のために(“左派ポピュリズム”だからではない)、資産課税の累進性を高めることに賛成である。