断章546

 『革命家の教理問答(カテキズム)』(バクーニン著作集・白水社刊から) ―― ここには“冷徹な憤怒”がある。

1.

革命家は死すべく運命づけられた人間である。彼には自分自身の利害もなければ、感情も愛着も財産もなく、名前すらない。彼のうちなるすべては、たった一つの特別な利害、唯一の思想、唯一の情熱 ―― すなわち革命によって占められている。

2.

彼はその存在の根底において、たんに言葉の上だけでなく事実の上で、あらゆる市民的秩序、すべての教養ある世界、すべての法律、礼儀、この世界の一般に承認されている約束事や道徳とのあらゆるきずなを断っている。彼にとってこの世界は容赦なき敵であり、もし彼がそのなかで生き続けるならば、それはこの世界をより確実に破壊せんがためにほかならない。

3.

革命家はすべての理論倒れを軽蔑する。そして平穏無事な学問を未来の世代にゆだねて、これを放棄する。彼が知っている学問はただ一つ、それは破壊の科学である。このために、ひたすらこのために、現在彼が学ぶのは機械工学、物理学、科学、あるいは医学である。このために彼は日夜人間の生きた学問を、性格を、現在の社会組織の状態を、すべての条件を、可能なかぎりあらゆる階層にわたって研究する。その目的はただ一つ ―― この醜悪な体制のできるかぎり速やかで確実な破壊である。

4.

彼は世論を無視する。彼は現在の社会道徳を、そのすべての動機と現象において軽蔑し、憎悪する。彼にとっては革命の勝利を促進するすべてが道徳的である。それを妨げるものは、すべて不道徳的で犯罪的である。

5.

革命家は死すべく運命づけられた人間である。国家およびあらゆる階級=教養社会に対して容赦ない彼は、またこれらの国家および社会からいかなる容赦も期待してはならない。かかる国家・社会と彼とのあいだには、秘密の、あるいは公然の、しかし絶え間なく、そして絶対に和解しがたい戦いが永遠に存する。彼はいつでも死を覚悟していなければならぬ。彼は拷問に耐えるべく自らを慣らさねばならぬ。

6.

自らに対してきびしい革命家は、他に対してもきびしくあらねばならぬ。肉親の情、友情、恋愛、感謝そして名誉といった、あらゆるかよわく柔弱なる感情は、革命の事業の唯一の冷たい感情によって、自らのなかに抑圧せねばならぬ。彼にとってただ一つの喜び、慰め、報い、満足は、革命の成功である。彼には日夜たった一つの思い、たった一つの目的がなければならぬ ―― 仮借なき破壊という目的が。この目的に向かって冷静に、たゆまず努力しつつ、彼は自分自身を、またこの目的達成を妨げるすべてのものを、自らの手で滅ぼすようつねに準備ができていなければならぬ。

7.

真の革命家の性質は、あらゆるロマンチシズム、すべてのセンチメンタリズム、有頂天、熱中を排除するものである。それは個人的な憎悪や復讐すら排除する。彼のなかにあっては、革命的情熱が日常茶飯のものとなり、冷静な計算と結びついていなければならぬ。たえず、どこにいても、彼は個人的な好みではなく、共通の革命的利害の命ずるところに従わねばならぬ。

8.

革命家にとっては、自分自身と同じように実際に革命の事業に決意を表明した人間だけが、友人となり、親しい人間となり得る。このような同志に対する友情や信服やその他の義務の度合いは、すべてを破壊する革命の授業における有効性の程度によってのみ決定される。

9.

革命家同士の団結については、いまさら言うまでもない。革命活動のすべての力は団結のなかにこそある。革命について理解と情熱を等しくする同志=革命家たちは、すべて重要なことは可能なかぎり一緒に検討し、全員一致でことを決すべきである。このようにして決まった計画の実行にあたっては、できるだけ各人が自分だけをあてにすべきである。一連の破壊的行動を遂行する際には、各人が一人で行うべきであって、どうしても成功がおぼつかない時にのみ、同志の助言や援助を求めるべきである。

10.

一人一人の同志の手許には、数人の第二、第三級の革命家がいるべきである。これらの革命家は完全には革命に身をゆだねていない人たちである。革命家はこれらの人々を自分の管理下にある共通の革命的資本の一部とみなすべきである。彼は自らの資本の分け前を、つねにそこから最大の利益を引き出すことができるよう、経済的に使わなければならぬ。自分自身に対しては、革命の事業の勝利のために消費さるべき運命にある資本と考えるべきである。自らもその一部であるかかる資本の使用は、完全に革命に身をゆだねた全同志の賛成なしには行うことができない。

11.

 同志が窮地に陥り、これを助けるべきか否かが問題になった際には、革命家たる者はけっして個人的感情によらず、もっぱら革命の事業の有益性にもとづいて考慮すべきである。かかるがゆえに、一方では同志のもたらす利益と、他方では彼を救うために必要とされる革命勢力の損失とを考慮しつつ、いずれの側が勝るか決定すべきである。

12.

言葉の上でなく、行動の上で同志に加わらんとする新しいメンバーの採用は、全員一致でこれを決めるべきである。

13.

革命家が国家や身分社会や、いわゆる教養ある社会に進出し、そのなかで生活するのは、もっぱらその完全にして速やかな破壊を信ずるがゆえにほかならぬ。もし彼にとってこの世界になにか惜しむべきものがあれば、その者は革命家ではない。また彼がこの世界に属するなんらかの事態や関係や人間の抹殺を前にして立ちどまるならば、この世界のあらゆるものが彼にとってひとしく嫌悪すべきものとなるに違いない。もし彼がこの世界に、肉親、友人、恋愛といった関係を持つときは、もっと悪くなる。そしてそのような関係が彼の腕をおさえるようなことがあるなら、彼は革命家ではなくなる。

14.

仮借なき破壊の目的のために、革命家は社会のなかで偽りを装って生活することもあれば、しばしばそうしなければならないことさえある。革命家はあらゆるところへ、すべての階層のなかに入り込まなければならぬ。上層へ、中流階級へ、商店へ、教会へ、地主貴族の邸へ、官界へ、軍隊へ、文学界へ、第三部へ、そして冬宮へすら侵入するのである。

15.

すべてこの醜悪なる社会は、いくつかのカテゴリーに分類さるべきである。第一のカテゴリーは、猶予せずに死刑を宣告される。結社は革命の事業の成功にとって、有害性の順に従って、これら死刑を宣せられた者のリストを作製すべきである。これによってリストの先に出てくる者から片付けるのである。

16.

かかるリストを作製し、前述の順序を決定する際には、けっしてその人間の個人的悪業や、結社や人民のなかに彼がもたらした憎しみによって決めてはならない。このような悪業や憎悪は、人民の反乱を惹起し得るがゆえに、部分的にも一時的にも有益なものですらあり得る。彼の死が革命の事業にもたらす有効性の度合いによって考えられなければならぬ。したがって、革命組織にとって特に有害であったり、その人間の突然の横死が政府にこの上ない恐怖をもたらしたり、政府がその賢明で精力的な活動家を失うことによって、力が削がれるといった人間から、まずもって葬られるべきである。

17.

第二のカテゴリーは、一時的に生かしておく人々である。彼らの残忍な行為が人民に不可避的に反乱を引き起こすようにするためである。

18.

第三のカテゴリーには、特に知的にも精力的にも目立つところはないが、彼らの富や交友関係や影響力や力が立場上利用できるような、多くの高位の畜生どもや人物たちが含まれる。これらの人間はあらゆる手段・方策を用いて利用すべきである。巻き添えにしたり、迷わしたり、なるべく彼らの汚い秘密をつかんで自分たちの奴隷にしたりするのである。このようにすることによって、彼らの権力や影響力や交友関係や富や力が、さまざまな革命的企てにとって無尽蔵の宝庫とも強力な援助ともなるであろう。

19.

第四のカテゴリーに入るのは、いろいろな相違をもった野心家の官吏や自由主義者たちである。彼らに対しては、その計画に従って、あとを追うように見せかけながら、彼らのあらゆる秘密を握って縛りつけ、もとの地位に復帰することができないほど体面を傷つけることによって、彼ら自身の手で国家を混乱させるような陰謀をはかることができる。

20.

第五のカテゴリーは、グループ内で陽気におしゃべりをしたり、書物の上だけの空論家、陰謀家、革命家である。彼らに対しては、たえず前の方に押しやり、引っぱって、実際に困難な言明をさせるようにしむけるべきである。こうすることによって大部分の者は跡形もなく消え失せ、少数の真に革命的な資質が残るであろう。

21.

第六の重要なカテゴリーは女性である。女性は大きく三つの種類に分けられるべきである。その一は、中味も思想もない、魂の抜けた者たちであって、これは男性の第三、第四カテゴリーと同じように利用することができる。そのニは、熱烈で献身的ではあるが、いまだ真の文句なき事実上の革命的理解には到達していないがゆえに、われわれの仲間にはあらざる女性である。これらの女性は第五のカテゴリーの男性と同様に扱うべきである。最後は完全にわれわれの仲間の女性たちである。ということは、まったく献身的で、われわれの綱領を全面的に受け容れた人たちである。彼女たちはわれわれの同志である。われわれは彼女らをこの上なく貴い宝とみなさなければならない。彼女らの援助なしにやってゆくことは不可能である。

22.

結社にとっては人民、すなわち肉体労働者の完全な解放と幸福以外に目的はない。しかし、かかる解放と幸福の実現のためにはすべてを破壊する人民革命以外に道はないことを確信するがゆえに、結社はすべての力と手段を尽くして、ついには人民をして忍耐の極、一人残らず蜂起に立ち上がらせるような諸悪を発達させ、これを断ち切るべくつとめるであろう。

23.

人民革命という語を、結社は西ヨーロッパの古典的なやり方による立法運動の意味には用いない。このような運動は、いわゆる文明とか道徳とかいった社会秩序の伝統や所有権の前でつねに立ちどまり、今日までのところ、どこにおいても一つの政治形態を他の政治形態によって転覆させて置き換えるにとどまり、世に言うところの革命的国家を創設せんとしてきた。人民にとって有益な革命とは、あらゆる国家制度を根底から絶滅し、ロシアにおけるすべての国家的伝統や秩序や階級を根絶するもののみである。

24.

かかるがゆえに結社は、人民に対してはいかなる組織も上からむりに押しつけんとする意図は持たぬ。将来の組織は、疑いもなく人民の運動と生活から育てあげられるものである。しかしこれらは未来の世代の仕事である。われわれの仕事は、激烈な、完全な、あらゆるところでの容赦なき破壊である。

25.

したがって、人民に接近しつつ、われわれは、モスクワ国家の設立以来、言葉の上でなく事実の上で、直接・間接に国家と結びつくすべてのものに、貴族に、官吏に、僧侶に、ギルド社会に、富農=高利貸しに抵抗し続けてきた人民の生活の諸要素と、まずもって結合しなければならない。ロシアにおいて、真の、唯一の革命家である大胆な強盗の社会と結びつこうではないか。

26.

この世界をただ一つの向かうに敵なき、すべてを破壊する力に結合すること、これこそわれわれの組織であり、陰謀であり、任務なのである。