断章10

 わたしは、貧乏であった、貧乏である、貧乏なまま死ぬだろう。

 わたしは、戦前から続く日本経済の「二重構造」の『下層の下位』で生きてきたのである。

 

 日本経済の二重構造とは、「近代的大企業と前近代的零細企業が並存し、両者の間に資本集約度・生産性・賃金などに大きな格差があるような経済構造」(GOO辞書)のことである。

 

 誤解を恐れずに単純化する(金額も今に合わせてみる)。

 

 あるコンビナートに大工場があるとする。

 本工は二重構造の上層である。但し、管理労働にたずさわる上位の平均年収が1000万円とすれば、現場労働にたずさわる下位の平均年収は750万円である。

 また、上層には現物給付があり、社宅があり、組合がある。

 大工場周辺や大工場内部の下請け労働者は、二重構造の下層上位であり、平均年収は400万円である。孫請けの労働者は、下層の下位であり、平均年収は300万円である。

 また、下層には現物給付が無く、社宅が無く、組合も無い。

 そして、単純なゴソ仕事をするのは、手配師に集められてきた日給8000円の日雇いである(最下層のドヤ街のみんな)。

 

 世間がすでに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォ―ゲル)と浮かれはじめていた1980年頃、二重構造の下層下位に位置する独身男(それは、わたしだ)の暮らしは、共同便所の安アパートのほとんど日の射さない1室(古びた畳の匂いがする)に、あるものは電気スタンドと小机と布団だけ。服は長押につるし、下着は段ボール箱。食事は、職場で出前か弁当(念のため。今でいえば、玉子屋のオフィス弁当450円のような豪華版ではなくて、激安スーパーの弁当)。ありがたいことに(?)、風呂は現場仕事なので職場で入れた。

 休みの日は、大衆食堂(最近よくあるような小洒落たものではない)で食事をし、図書館や古本屋巡りに行く。

 5禁の誓いを自分に課していた。禁酒、禁煙、禁テレ、禁パチ、禁映である。

 「酒を飲まない、煙草を吸わない、テレビを見ない、パチンコをしない、映画を見ない」

 結婚して家族を養っていく自信がなかったので、女を避けていた(ブサイクでモテなかっただけかも)。もしものときのために、貯金はしていた。

 

 「もしものとき」は、やって来たのである。